飯塚幸三被告の家族に対するバッシングは、少年による凶悪犯罪における、親の責任追求と相似形だ。
飯塚は高齢(事件当時87歳で現在89歳)で収監はおそらく無理。で、「クルマの異常」という屁理屈で無罪を主張している。→心身ともに摩耗した高齢者からクルマと免許を取り上げなかった家族の責任。
少年が強姦殺人(複数)をやらかしたが少年法で守られて極刑は無理。で、自分を誘惑した女が悪いんです、とうそぶいている。→こういうガキを育てた親の責任。
日本社会の特徴をよく示している。世間=村社会による連帯責任追求。
それが極端化すると「全員に責任があるとすることにより、誰の責任も問えなくなる」という、無責任システムとなる。敗戦時の一億総懺悔だ。まさに橘玲が論じてる通り。
どうすりゃいいのか、と言われれば、解決法は簡単。システムを強靭化すること。
運転免許に年齢制限をつける。クルマなら18歳から74歳。75歳になった時点で免許が無効になる。それを法制化した上で、救済措置を個々に講じる。公共交通機関が貧弱な地方では、75歳以上にも「仮免許」を交付するとか、タクシー利用に補助金を出すとか。でも、原則は74歳まで。
強盗、強姦、殺人等の凶悪犯罪に関しては、少年法を適用しない。何歳であろうとも成人同様に裁く。その上で、個々の事件の情状を酌量する。
それだけで、ずいぶんと「スッキリ」するだろう。さすれば世間・村社会・連帯責任は発動不要となる。
でも無理なんだよな。「人権」を盾に反対する連中が金切り声で絶叫するから。で、村社会の現在日本においては、強硬に反対する人間がいる事案は、可決できないのが基本。憲法改正なら衆参両院の3分の2で発議できるが、村社会においては9対1でも容易じゃない。現に支持率一桁以下でしかない反日野党が、猛威をふるってるでしょ。そゆこと。