リーダーシップという言葉は誰もが知ってるだろうが、フォロワーシップはどうだろう? 簡単に言えば「自分がリーダーと認めた人間に積極的に従い、支えること」だ。リーダーシップとフォロワーシップが両輪として機能してこそ、「目的」を実現できる。
だが、現在日本においては、パンピーが政治家にリーダーシップを求めることはあっても、自らがフォロワーシップを果たそうとしているだろうか? とりあえずやらせてみて、成功すれば結果オーライ、失敗したら叩きまくる、が通例となっちゃいないか?
これはしかし日本人の特質なのかもしれない。日本人はいつどこにおいても「責任者は誰ですか?」と尋ねるらしい。日本国内はもちろん外国でも。極端な話「紛争地域」においても。自分の「安全」「権利」その他についての「責任を負ってくれる人」が自分自身以外にいて当然だと思ってるわけだ。
それが分かっているから、リーダーはリーダーシップを発揮するのを控える。常にパンピーの意向を確認し、それに従って行動する。だったら、成功すれば万々歳。失敗しても責任を負わずに済む。自分の失敗じゃなく「皆の失敗」に拡散できるから。
パンピーがリーダーを選ぶに当たって、自分自身のフォロワーシップの可能性を考慮せよ、というのは現在日本においては無理筋だろう。でも、少なくともリーダーがリーダーシップを発揮するにおいて、フォロワーシップが必要不可欠である、という事実は自覚してほしい。リーダーもまた「日本人」なのだから。