三鷹食堂日記帖

飯食い酒飲み自転車をこぐおやぢの日常。MT車大好き。

「わたしは死ぬのは怖くない」と言ってたのは

 丹波哲郎だったっけ。2006年没。享年84。

 それにしても、恐ろしい時代になったものだ。昭和の御代には、30代で60代の親を看取る。その後30年生きるというのが標準だったとしたら、令和の現在は60代で90代の親を看取るわけだ。その後の人生はすでに実質的に終わってるわけで。

 死んだ後のことも考えておこう。親じゃない。自分自身の。葬式は要らん。墓も不要。火葬して焼き切っておしまいにしてほしい。何も残さなくていい。つか、要らんモノを残すな。「お骨」なんて最たるもの。何の意味もない。

 ああそうだ。丹波同様、死ぬのは別に怖くない。「死んだほうがマシ」状態で生きてる自分を想像するほうが百倍怖い。世間的には自裁と思わせない、自裁のやり方を100通りくらい考えておきたい。厳冬期に酔っ払って外で寝込んで凍死、ちう露助流が意外と一番かも。

 日本で「尊厳死」という名の「安楽死」が法制化される可能性について考える。「死刑」を未だ維持し、「切腹」なる伝統文化があることを考えるに、意外と一瀉千里に実現するんじゃなかろうか。日本人にとって命は実は軽い。「罪」なり「恥」なりを雪ぐためなら、鴻毛より軽かろう。

 そういや「生き恥をさらす」って英語にあるのかね? あるいはスペイン語やフランス語に。無いんじゃないかと思う。「生き恥」ちう言葉の裏側は「死ねば名誉回復」だが、十字教的には「違うだろ」。死んでも恥は恥、罪は罪で、最後の審判まで持ち越すわけだから。支那朝鮮も思想は違うが実践は同じ。でなきゃ罪人の墓暴きなんてやりゃしねえ。

 古今東西、権力と財力を極めた「王」はさらに「永遠の生命」を求めたものだが、それ以外の、権力とも財力とも無縁のパンピーは適当に生きて、適当に死んでいった。それで別段不満も何もなかった。「そういうもの」だと思っていたから。

 自分は、そうだな。望み通りにスペインで死ねたら「荼毘に付す」以上だろうし、日本なら上記の通り。ああそうだ。遺言しておこう。「葬式にも墓にも一切金遣うな。自分らで遣え。遣いきれなかったらどっかに寄付しろ。でなきゃ化けて出るぞ」 これな(笑)

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