三鷹食堂日記帖

飯食い酒飲み自転車をこぐおやぢの日常。MT車大好き。

学校教育について

 学校教育について考える。現在日本のパンピーは小学校中学年レベルの技能で十分やっていけてる。昔は「読み書きそろばん」と言ったが、今はスマホ一つ持っていれば、漢字が書けなくても、九九ができなくても不便はないだろう。ごく一部の、たとえば理系の専門家や技術者を目指す人間は、微積分や三角関数が基本技能となり、その上に専門的技能を積み上げていく。

 方程式や因数分解の基礎は中学数学レベルであり、義務教育の範疇だ。すなわち、日本人全員が習得すべき技能とされている。だが、現実には、九九すらできなくても無問題のパンピーと、微積分基本のスペシャリストに二分されていて、因数分解までしかできない人間は、その技能の使い道が無い。

 ならば義務教育においては、従来の知識教育は小学校中学年までとし、スマホタブレットの使い方とリテラシーを教えた方が、現代社会で「生きるチカラ」を身につけさせることになる。

 そこを基本として「上」を目指そうという子には、別ルートで能力相応の教育を施す。結果、小学生で微積分をマスターし、飛び級で大学に入る子も現れるだろう。その子にとってはそれが望ましいこと。それを許さず、中学、高校と「九九すらできない同年輩」と同じ教室で学ばせるとしたら、虐待に他ならない。この「九九」が「微積分」であっても同じこと。

 これはしかし、スポーツや音楽や囲碁将棋のプロを目指す子たちが、今現在実践していること。それを科学技術やビジネスのプロを目指す子にも適用してあげたい。

 でもまあ、それが絶対に不可能なのが現在日本という国。村総出で田植えをし、稲刈りをしてた時代に形成された、思考形式、行動様式から、ほとんど先へ進んでいない。むしろ逆行している。