三鷹食堂日記帖

飯食い酒飲み自転車をこぐおやぢの日常。MT車大好き。

書店について

 自分にとって「書店」ちうのはどういう存在なのだろう、とふと考えてみる。ふらっと入れて、棚の背表紙を眺めて、大概は買わない。たまに買う。ブクオフ110円コーナーで「お得」と観て、が多いか。嫁さんは新刊書店でホイホイ買って、「ワカコ酒」しつつ読んで、自分に下げ渡しているが、自分はそういう買い方はできない。で、あらかじめ決めて買うのはKindleストアに特化しているから、リアル書店での購入機会はそもそもレア。

 自分自身、本好きを自認してて、書痴に近いとまで思ってるのだが、その自分がamazonに取り込まれている。それはベゾスさんご自身が「そう」だったからだ。「読みたい本を今読みたい」と熱望する本馬鹿にとって、品切れゼロで瞬時に読むことが可能な電子書籍は夢の本。また、新刊値段じゃ「どうよ」なのだが、新古書値段なら「読んでもいいかな」な本をマーケットプレイスで買えるのも、素晴らしいこと。どちらも新刊書店、新古書店にとっては破滅的な事態だが、それを気にせんのが本馬鹿の馬鹿たるところ。

 そもそも「店」個々に対する思い入れなんて無いわけだ。町場書店しか無い時代はそこで買ってた。ナショナルチェーンの大型店ができたら、品揃え豊富なそちらで買うようになった。→町場書店は衰退した。ブクオフができたら、愛用した。→新刊書店全体の売上が下落した。amazonのサービスは100パー愛用している。→既存の出版流通システムが滅ぼされつつある。

 つか今まで読者に多大な不便を強いてきた、既存の出版流通のやり口を思うに「滅びて無問題」が正直なところ。注文対応に何週間もかけたり、新古書店をいじめたり、電子書籍の普及を妨害したり、ホント下らないことを山ほどやってきた。

 ああ、ちなみに「セレクトショップ」書店は、トーシロ読者には有難がれることはあっても、本馬鹿には「カーッペッ!」な存在。アパレルや雑貨なら、多品種少量生産で、そのショップでしか入手不可能という、レア感を演出できる。最低でもン千部刷るしか無い本は「レア」たり得ない。電子版同時発売なら無意味。で、版元として、電子版を出さずに紙版のみを「レア」化して、転売ヤーのビジネスチャンスを作るのは、さらに無意味。