三鷹食堂日記帖

飯食い酒飲み自転車をこぐおやぢの日常。MT車大好き。

電子書籍、つづき

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「紙か電子か」というのは、電子書籍の登場前夜から散々論じられてきたこと。その背景には、既成の出版流通に対する「忖度」があった。「電子大歓迎」と思ったとしても、すんなり、そうは言いにくい。
 ぶっちゃけ、すべての本が電子になってしまったら、出版流通…すなわち出版社⇔取次⇔書店の三者の間の「本」とお金のやりとり…が不要になってしまうわけでさ、業界が丸ごと消滅する。で、出版社→読者と単純化するのではなく、著者→amazon→読者ともなりかねない。いや、現に一部ではそうなりつつある。出版社も「編集」と「版権管理」以外のすべて…制作(紙を手配したり印刷所と交渉したりする)、宣伝、販売といった部門が不要になる。
 そこまで突き詰めるまでもなく、例えば「Wンピース」の電子版を出すとする。書店の社長からすれば「S英社さんはわしらの飯の種を奪うんか?」となる。「死ねと言うんか?」となじられることを思えば、電子版の発売を紙版よりも1か月遅らせよう、という「忖度」は当然のこと。この場合、読者の利便性は「あまり」考慮されない。業界の外の存在だから。
 でも、読者という立場からすれば「電子大歓迎」。少なくとも自分はそうだった。重量わずか200gのKindleに何百冊もの本を入れて持ち歩けて、いつでもどこででも読める。Wifiでストアにアクセスして、書名を検索して購入することもできる。「本」という名の重量のある紙の束を持ち歩く労力や、それを何百冊も貯蔵するために必要なスペースを思えば、それらから完全に「フリー」な電子の「軽さ」は大歓迎だった。
 ハードカバーの新刊書も買って即裁断してスキャンして…「自炊」なる作業だ…Kindleで読んでたんだから。2010年の夏以来、村上春樹やディーヴァーの新刊からブックオフの100円コーナーで仕入れた文庫本まで、何百冊も。
 リンクした記事で書かれてる通り、月に何十冊も本を読む、いわば「本のヘビーユーザー」にとっては、電子書籍は「福音」だった。圧倒的な利便性の前に、Kindleなどの専用デバイスのコストなんざ微々たるものだった。
 逆にライトユーザーにとっては昔なじみの「紙」のほうが良いのかもしれない。文庫や新書の1冊だったら数百円で買えるし、重量も200gもない。Kindleの方が「重い」し、ずっと「高い」しね。