三鷹食堂日記帖

飯食い酒飲み自転車をこぐおやぢの日常。MT車大好き。

「道路族」について

「道路族」なる言葉がバズってるらしい。「道路で遊ぶこどもらとそれを放置する親」といった意味で、否定的なニュアンス。悪口。「DQN」に近いか。「道路で遊んじゃ危ないだろ。非常識な」というのが一般的な反応だろう。でも、なんで?と疑問に思い、ネットをあれこれ探索してみた。で、分かったのは以下の事情。

 まずは立地問題。道路族と被害者が住むのは、多くは小規模な新しい住宅地。東京ならば、町工場が移転した跡地に、矮小な3階建てが10軒20軒建てられて、各家が面しているのは、外部からは袋小路の私道というような。各家にはカーポートはあるが、庭も塀もない。

 こういう住環境であれば、自分ちの前の路地が「道路」だという意識がなく、庭先の共有スペースくらいの感覚だろう。だったらば、そこでこどもを遊ばせるのは当然。夏場ならビニールプールを出したり、レジャーテーブルとチェア並べてBBQくらいはするだろう。

 住宅地の全部がそういう家庭なら、こどもが騒ごうが、隣家の玄関先の「私有地」に足を踏み入れようが、転がったボールが駐車中のクルマに当たろうが、「お互い様」で問題は起きようがない。

 その中に「違う家」が交じっているとトラブルが発生する。例えば、年金生活の老夫婦。あるいは子無しの専業主婦。昼間家にいれば、当然、こどもらの騒音が聞こえてくる。母親同士の井戸端会議の嬌声や笑い声も。そして休日になればBBQその他。自分らにこどもがいなければ「お互い様」じゃない。我慢の末にクレームの声を上げることになる。

 そこで初めて、その路地は「道路だろ」という言説が浮上する。

 建前的には老夫婦&子無し主婦が正しい。でも、その1軒が文句を言うために、今まで自由に使ってた「共有スペース」が使えなくなるとしたら、残り10数軒はどう感じるだろう?

 団地やマンションなどの集合住宅でも同様の問題が発生する可能性はある。が、たいがいは規約で「こどもの遊び場」その他は明確に定められていて、廊下や階段での騒音は発生しにくい。そのような規約は「路地」には存在しない。

 さらに、集合住宅じゃなく、矮小とは言え「戸建て」を志向する人間は、集合住宅的ルールが息苦しいから、戸建てを選択している可能性が高い。そこに「道路だろ」というルールを強制されたら、すんなりと受け入れるだろうか?

 反論はいくつか想定できる。「公道じゃなくて私道じゃないか」「受忍範囲だろう」「うるさい都会が嫌なら、静かな山の中にでも引っ越せば?」「あんたらみたいな手合いがいるから日本の少子化がとまらないんだ」などなど。それぞれに、いくらかの根拠がある。束にすれば「道路だろ」に対抗可能で、折り合うことがない。最終的には裁判で解決するしかなかろう。多大な時間とエネルギーを遣わされることになる。

 本質は前近代社会の日本であるから、文句を言う1軒を、村八分や嫌がらせで路地から追い出す、という黒い選択肢も当然あり得る。

 けっこう難しい問題である、と理解するに至った。