三鷹食堂日記帖

飯食い酒飲み自転車をこぐおやぢの日常。MT車大好き。

老いて、最後に残るもの

 ふだんあまり使わないスーパーで買い物をしてレジに並ぶ。と、ここで小事件。自分の前に若い夫婦が嫁さん赤ちゃん抱いて並んでたのだが、さらに前のおばちゃんと「社会的距離」を開けていたところに、横から爺が割り込んだ。

 ここまでは、まあ、分かる。爺、行列に気づかなかったんだろう。夫婦の夫が「すいません、並んでますよ」と注意した。そうしたら、爺は「前が空いてたから」などモゴモゴ言い訳して、そのまま割り込みを続行しやがったのだ。板橋の民度を割り引いても、相当な暴挙である。

 で、若夫婦は「しょうがねえなあ」的に苦笑いして、割り込みを許容した。夫婦の後ろに並んでた自分は「おい、爺! 割り込むんじゃネエよ」と喉まで出かかったのを押し戻した。元ヤン若夫婦が敬老精神を発揮してるところに、後ろからインテリ爺がキレたらシャレにならんでしょ。

 割り込み爺はやたらもたもたしてて、レジで財布を出すのも、10円玉落として拾うのにもえらく時間がかかってた。老耄であちこち心身がバグってるんだろう。それでも、スーパーに買い物に来るだけの「能力」はある。なのに「公徳心」ちうか、単に「ちゃんと行列を作る」という、幼稚園児でもできることが不能になっているのだ。

 人間は年老いて、いろんなものを失っていく。健康を失い、記憶を失い、歩けなくなり、最後は糞小便を垂れ流しながらくたばるのだが、最後まで失いたくないのが「人としての道」だろう。「公徳心」はその重要な1つ。この爺の場合、他のいろんなものに先だって、それを失ってしまったわけだ。

「人の道」を外れた爺は、周囲の人間に疎まれ、嫌われ、嘲笑されながら、くたばるのだろう。そして、三途の川の渡し船の行列にも割り込むってか?(笑)

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