「老害」が一番問題なのは、政治経済の「上の方」だ。例えば、政界を裏から支配する「長老」。与党野党問わずに一定数存在する。本人は「水戸黄門」を気取っているのだが、現役政治家からすれば、単なる迷惑爺でしかない。歴史と伝統のある大企業において、高齢者が社長を引退した後も、「会長」やら「相談役」やら「最高顧問」やらの肩書きで、経営に口を出し続けるのも、よく聞く話。彼らの存在が、日本の政治経済にとって害毒であるのは確実。まさに「老害」。
それをスケールダウンしたものも、企業組織のそこかしこに見受けられる。東証上場企業の何と95%に「老害」の存在が確認されている(適当)。さらにマスコミ各社にも。言うまでもなく、芸能界やスポーツ界やアカデミズムの世界にも、あまねく「老害」は、はびこっている。
でも、庶民層には無関係だった。庶民が働いてるような職場じゃ、無用の爺を雇う余裕なんかないし、日常生活においても「近所にうるさい爺がいる」程度で、とりたてて実害は無かった。
庶民の目にも「老害」が見えるようになったのは、今回の武漢肺炎騒動がキッカケ。時間だけは売るほど持ってる高齢者が、マスクやトイレ紙の買い占めに走った。
「同じお爺ちゃんが毎日毎日並んでマスク買い占めてるのよね」と吐き捨てるように言った、病院パートおばちゃんの憎しみに満ちた表情が忘れられない。
別の日の話だが、学校が休みになったこどもらが遊ぶ団地の公園のベンチに、爺が3人。あごマスクで、昼から缶チューハイを飲みながら、煙草ふかしているのを見かけた。
「安倍もよう、今さら2枚ぽっちだなんて何考えてやがんのかなあ」
「もうたっぷりあっから。それより金だよ金」
「◯◯さんは、相当につぎ込んでるもんな」
ゲハハハハ、と笑う爺3人。
こいつらが入院したなら、ちょっと高いワイン開けて、祝杯上げてやろうかと思いましたよ。