三鷹食堂日記帖

飯食い酒飲み自転車をこぐおやぢの日常。MT車大好き。

ちょと追記

「皆がやってることをやらない」というのは、一つには「『楽』じゃなく『楽しい』を選ぶ」ということ。

「皆がやってること」の多くは「楽」なこと。「テレビを観る」がその筆頭。一方的に流されてくる無料の情報に対して、何も考えずに心身を委ねるだけ。これ以上の「楽」は無かろう。同じように「ディスプレイを観る」としても、レンタルDVDやNetflixで映画を観るというのなら、何を観るのか、自分で考え、自分で決めなければいけない。当然有料であるから、失敗=損である。お金以上に「時間」の損失が大きいと感じるだろう。でも、リスクを取った上で、おもしろい作品に巡り合えれば、これ以上の「楽しみ」は無い。

 もう一つは「集団に埋没しない」ということ。これは学芸やスポーツを例にとると分かりやすい。「皆がサッカーをやっている」として、その中で自分もサッカーをやって、どれだけのポジションにつけるのか? トップだったら意味があるかもしれないが、「中の中」だったら意味がない。「仲間・絆・ワンピース」的な満足は得られても、「資産づくり」には寄与しない。それよりも、人があまりやってないレアな趣味を持っていて、それに没頭できるなら、それが「資産」になる可能性がある。例えば「さかなクン」みたいな。

 とは言え、大多数の人間においては、勉学もスポーツもその他学芸や趣味あれこれも、人並み程度で「天井」が見えているだろう。だったら、それを前提に「平均点」を上げるべく努力する。プロスポーツ選手や「さかなクン」が「天才」なら、センター試験でまんべんなく点を稼いで東大合格を狙う的な「秀才」を目指す。凡才が天才になるのは不可能だが、秀才になら努力次第でなれる。その際に大切なのは「自分に天才は無い」とハッキリ自覚すること。

 これは実は「皆」にはやれないこと。「日本じゃFラン大しか入れないがアメリカに留学すればGAFA目指せる」とか「サッカーでプロは無理でもヒップホップダンスなら」とか「絵を描くのは無理だが日本語は喋れるから、代アニ行って声優に」とか、さまざまな「無理筋」を夢見ているのが「皆」。そんな「皆」とはハッキリと一線を画す。

 そんでもって、テレビともSNSとも縁を切り、5年10年かけて「貯金・教養・肉体」の資産形成ですよ。これに関しては「近道」も「抜け道」も無い。

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