三鷹食堂日記帖

飯食い酒飲み自転車をこぐおやぢの日常。MT車大好き。

都会と田舎

 自分は「上京者」として、生まれ育った田舎のことも、今住んでる都会(東京)のことも、それぞれに分かってるつもりだが、ごくごく分かりやすく例えてみれば、ビジネスとか何かをやるにあたって、都会と田舎の環境の違いは、近代スポーツと伝統芸能の違いなのよ。

 近代スポーツにおいては、ルールとシステムが明解。君がサッカー選手だとして、サッカーのルールを知っていて、それなりに優れた技能を持っていれば、世界中のどの「チーム」でも基本的にやっていける。これが都会の流儀。対して、伝統芸能においては、ルールもシステムも不明瞭。その世界で地位を築いている偉い師匠に弟子入りするとか、流派に入門して「お稽古」するとかして、インサイダーにならなければ何一つできない。これが田舎の流儀。
 で、モノホンの「伝統芸能」なら、それなりの意味も価値もあるのだが、単に今現在そこにいる年寄りが既得権を主張せんがための「伝統」だったら、アホ臭いかぎりだよね。
 そういや、こんな話を聞いたことがある。どこぞの田舎町の神社のお神楽が「神代以来の郷土の伝統芸能」として、地元の小中学生が習わされて、年に何度かの神社の行事に動員されている。ところが、その神社ってのは、元々はお寺だったのが、明治の廃仏毀釈で潰されて、適当なナンチャラ神社が「再建」されたもの。お神楽に至っては、戦後の昭和30年代に、観光による町おこしのために「創作」されたもの。そのお神楽に登場するナンチャラのミコトは日本神話の、そこそこのキャラなのだが、そのミコトが一時的に立ち寄って、飯食ったかウンコしたかとされる土地が、この田舎町のどっかに比定される、という、そんだけのご縁。それで「神代以来の伝統芸能」となるわけだ。
 アホ臭いよね…と結論づけようと思ったのだが、逆にそこまでやってる田舎町なら、それはそれで大したもんかもしれない、と評価したい。「千年の都」と自称する京都だって、やってることの一つ一つを検証すれば、上記の田舎町と大同小異じゃ…
 …ん、インターホンのチャイムが鳴った。こんな時間に誰だろう?