三鷹食堂日記帖

飯食い酒飲み自転車をこぐおやぢの日常。MT車大好き。

「エロス資産」について考える

 若い女のエロス資産について考えてみた。アイドルや女優がしばしばスキャンダル(要は性的逸脱)で叩かれるが、「成金の所業」に例えると合点がいく。成金が貧乏人多数に金をばらまけば、社会不安を醸成する。「銭ゲバ」で蒲郡風太郎がビルの屋上から紙幣をばらまき、下を歩く貧乏人に拾わせた後、「オラの銭を返すズラ」と回収するくだりがあったのを思い出す。若い女が無節操にエロス資産をばらまいても、同様に社会不安が醸成される。で、悪いのは「ちゃんと管理せねばならない資産を無節操にバラ撒いた成金」であり、群がった貧乏人ではなかろう。同様に、女の色香に迷った男が悪いとは(一方的には)決めつけられないのではないか。

 痴漢被害に逢った女性に対し「下着同然のかっこうで歩いていたあんたにも責任がある」というのは、概ね不当な非難であり、セカンドレイプの誹りも免れまい。だが、「エロス資産を不用意にばらまいた」と言い換えれば、「慎むべきだった」との批判にも相当の根拠があると分かる。

 批判の妥当性は、エロス資産の多寡による。田舎の婆さんがシュミーズで夜道を歩いていて、男につけ回された場合は、男が一方的に悪い(目が?)だろうが、ハリウッド女優がビキニ同様の露出度のドレスで銀座を闊歩しているのの、後をつけ回してしまった男が100人いたとして、ある意味当然であり、男どもを批判することは難しかろう。で、女優が官憲に「補導」されることはあっても、シュミーズ婆はお咎め無しだろう。同じように「女性が肌を晒していた」としても、エロス資産の量が圧倒的に違うのだから、差別との批判は当たるまい。10円玉をわざと落として小学生に拾わせるのは冗談で済むが、1億円をビルからばらまけば風紀紊乱の罪に問われる。それと同じこと。

 そう考えると、制服のスカートを思いっきりたくし上げた「超ミニ女子高生」に憤りを感じる爺にも、いくらかの正当性がある、と言える。「単なるおしゃれなのに、嫌らしい目で見て、不当に非難した」との誹りは逆に不当であろう。エロス資産というものの存在を認めて、正しく評価し、当の女子高生に教えてやるべきだろう。自らのエロス資産にまったく無自覚な若い女性がいたとしたら、1千万円分の札束をレジ袋に入れたのを手に提げて、夜の歌舞伎町を彷徨している金満ボケ老人と、本質的に変わらない。

 自分が相当の資産を持っていて、それは容易く奪われうるものだと知っていれば、周囲に対して警戒し、行動を慎むのが当然だろう。海外旅行で多額の現金を持ち歩くな、というのが分かりやすい例。同様にエロス資産についても、それを所持する若い女性に対して、キチンと教育し、不用意な行動を自制せしめることが、必要とされているのではなかろうか。
 エロス資産なる概念は、フェミの排撃するところだろうと容易に想像がつく。女性限定で所有され、加齢に従い、否応なしに滅却していく「資産」など、フェミ婆連中は絶対に認めんだろう、と。若い女性に教育するのも、実は難しい。エロス資産については、各人の体型や健康状態、容貌の美醜によって、多寡があるのが当然だからだ。同じクラスのA子ちゃんは1億円なのに、自分は10万円という格差を受け入れることができるか否かが最大の問題だ。

f:id:mitaka_i:20200818223615p:plain