三鷹食堂日記帖

飯食い酒飲み自転車をこぐおやぢの日常。MT車大好き。

損得勘定の世界

 富裕層が寄付をする。これは分かる。お金で評判を買う。両得。貧乏人が「損得抜き」で募金活動をする。これは分からん。街角に立って道行くパンピーに呼びかけて小銭を集めて、というのなら、労働に対する対価を評判に転換するということで、帳尻が合ってるかもしれない。富裕層に寄付を強要し、その金で自らの評判を買うのは不当行為。

「貧者の一灯」も度を越せば罪悪。貧乏人がなけなしの全財産を寄付して、無一文になれば、その先何もできない。そいつを助けるための金が必要になる。分不相応な寄付などせずに、その分貯金して投資して金持ちになった上で寄付すればいい。貧乏人時代の何倍も出せるだろ。

 商売はメイチ儲けるが基本。そうした商売人が複数いれば競争となり、儲けは適当なところに収まる。そこに「トンカツ屋廃業問題」的なのが混じるとめんどうになる。高齢者が「儲からなくてもいいんです」なんて商売をやっちゃダメ。あんたがそれをできるのは、老齢年金をもらってるから。若い人にはマネできない。安値で競争して、若い人の商売を潰してしまって、あんたが死んだ後はどうなるの?

 これはしかし当の高齢者からすれば、損得勘定がしっかりできている。「安くて旨い店」との評判をゲットして、固定客を維持し、さらに感謝までされるために、年金分のお金をつぎ込んでるわけだから。そのせいで、若い連中がやっている周囲の店がワリ食おうが知ったこっちゃない、と。それも正解。

 ノブレス・オブリージュというのは「貴族」の話であり、厚生年金で払い込んだ額の半額を搾取されてるリーマンがそれを果たしてると言うのは、残酷な冗談。甘受させられるリーマンは土地の代わりに会社に縛り付けられた「農奴」みたいなもん。それでも「安定」を求める社畜。自分自身そうだったわけだ。35年半を経て、やうやつと自由の身になれた。