三鷹食堂日記帖

飯食い酒飲み自転車をこぐおやぢの日常。MT車大好き。

エリート無き日本

 エマニュエル・トッドが言うような「エリート」は日本にゃ存在しない。それを育てようとはしてこなかったから、当然のこと。だから理系の科学者はともかく、いわゆる「文系」…哲学や文学、政治学や経済学などで「世界レベル」の学者は日本にはいない。日本でもベストセラーになったトッドの逆に、欧米で本を売りまくってる日本人学者がいるかどうか考えれば簡単に分かること。ノーベル賞見ても、経済学賞の日本人受賞者は1人もおらんでしょ?

「エリートの責務」という意味の「ノブレス・オブリージュ」というのは、支配層であるヨーロッパの貴族やアメリカのお金持ちが自負するところのもの。慈善団体を運営する王族貴族は多々いるし、ゲイツもベゾスもザッカーバーグも社会貢献活動に大金を拠出している。彼ら以下の「富裕層」も同様。欧米にはチャリティーや「寄付文化」が定着している。

 対して「エリート」無き現在日本の、支配層である高齢者はどうか? ほぼ、なーんもしていない。「老後の不安」におびえて、ひたすら貯め込むだけ。

 16年に麻生太郎が「90歳になって老後が心配とか言ってる人がいる」とネタにして、自分なんぞは「ホント馬鹿だよなあ」と共感したのだが、野党に叩かれた。共産党の志位なんぞは「血も涙もない」と罵倒した。自民党は高齢者票を失うのを恐れ、麻生は釈明を余儀なくされた。本当に下らない。

 現在日本の支配層は高齢者。でも、いつの世も、支配層が恐れるのは下剋上。高齢者も例外ではない。現役世代を支配下に置き、その生き血をすすって生きているという後ろめたさがあるからこそ、不安から逃れられない。現役世代が反乱を起こし、年金制度が壊滅したらどうしよう、と。だからひたすらに金を貯め込む。何百兆円もの金を。

 自分はどう生きるか、だな。資産運用が超絶うまく行って「老齢年金なんざいらーん。困ってる人にあげたって」になるのがノブレス的理想(笑) せめて70歳まで、支給を5年繰り下げる。そんで「元」はとらずに死ぬ。それがよろしかろう。