三鷹食堂日記帖

飯食い酒飲み自転車をこぐおやぢの日常。MT車大好き。

イタリア語をひとかじり

 分かってはいたが、めっちゃスペイン語に似ている。違うところを留意していく、というのが正しい接し方であるようだ。まず「単語は母音で終わる」「男性名詞単数の定冠詞がilとloの二つある」「男性名詞の複数はo→i、女性名詞はa→e、男女e→i」。

 動詞活用の6つの形もスペイン語と一緒。「空腹を持つ」的な動詞の使い方もそう。再帰動詞、gustar型の動詞もある。どれも英語には無くて、スペイン語を学ぶに当たって新たに覚えたこと。それがイタリア語でも共通と言うことは、シームレスに学べるということでもある。基本単語も似ている。もしも今から本気でイタリア語始めたら、1年くらいでモノになりそうな気がする。スペイン語はガタガタになるだろうが。

 英語とスペイン語はかなり違うが、それでもスペイン語を学ぶことによって、英語はダメになった。兄弟姉妹の如く似ているイタリア語とスペイン語、自分にとっては完全な二律背反であろうと確信する。

 それとはちょっと違う話になるが、たとえば英語はスペルと発音の関係がデタラメで、knightなんて珍妙なスペルがある。tennisなんて書いたりする。tenisと書くと間違いとされる。でもスペイン語だと発音通りにtenisだ。英語であってもtenisと書いて意味が通らないわけがない。単に「英語として正しい」「正しくない」というだけのこと。その英語にはイディオムが山ほどあって、文法的に正確かどうかは二の次。英語学習のあるところから先は、イディオムを覚えることが「勉強」となる。

 そんなことよりも「道具としての外国語」を実践的に身につけることのほうが肝要なのではなかろうか。相手の言わんとすることをざっくり理解して、自分の言いたいことが言えること。

 今回の「イタリア語」で、スペイン語について思うに至った。イタリア語表現の多くは、スペイン語的には「間違い」。でも、意味は十分に通じる。逆も多々あるのだろう。両者に対して「中立」であることが可能な日本人学習者としては、「間違い」のレベルをざっくりとでも把握できるのが優位点か。

 すなわち、言わんとすることが全く異なって伝わってしまう「重大な間違い」と、文法的に違ったり「変」だったりするが、意味はちゃんと伝わる「ささいな間違い」とを、ざっくりなりとも区別して、前者は避けるが、後者はあまり気にせずに、話すのでも書くのでも「物量」をこなして、「底力」を涵養するのがよろしいのではないか、と。

 その点じゃ、とにもかくにも、たくさん話させるやり方が「効く」ように思う。その場その場で思うことをざっくりなりとも言えるようになれれば、今の自分には長足の進歩ではないかと思う。