三鷹食堂日記帖

飯食い酒飲み自転車をこぐおやぢの日常。MT車大好き。

多数派の危うさ

「いつの間にやら多数派になっているヤバさ」について危機感を抱くべきだろう。例えば政治的スタンス。自分が「保守反動」を自称するようになった四半世紀前は「少数派」だったが、いつの間にやら「多数派」になってしまってる。

 経済的スタンスについては、もっと切実だ。「多数派」すなわち「損する側」だからな。自分はもう「いまさら」だからあまり関係ないのだが、若い人には言っといてあげたほうがよかろう。すなわち、何も考えずに「みんながやってること」をやってたら、資本主義社会の下層に沈むぞ。確実に。それが下層の本質だからだ。思考停止して大勢に順応する連中の居場所が、下層以外のどこにあるというのか。

 ごくごく端的に振り返ってみよう。自分はテレビ捨ててすでに13年になるが、現在テレビを所有してない日本人は多分1割以下だろうし、それが10年以上に及ぶとなれば、さらに少数派であろう。そこから、すなわち「テレビ無し」から得られる「利益」は相当なものだ。

 も一つ、自分はMT車オーナードライバーだが、MT車乗ってる日本人は1割どころか5%もいるかいないか。そこから得られる「楽しみ」は素晴らしいとしか言いようがない。ここらへんは単なる「偏屈爺」の側面もある。ちうか単に「それ」だ(笑)

 スペイン語学んでる日本人というのも、圧倒的少数派だ。できれば「学びたい」と思ってる人々も含めれば、例えば「英語」については圧倒的多数派となると思うが、スペイン語は逆にさらに少数派となるだろう。その利益と楽しみはestupendoである。

 他には何がある? 自転車、筋トレ、読書、執筆などなど。どれも「少数派の営為」である。そして、その全てが素晴らしい。