三鷹食堂日記帖

飯食い酒飲み自転車をこぐおやぢの日常。MT車大好き。

改憲よりも選挙が先

 憲法改正はもう少し先の話だろう。早ければ年末、遅くても来年夏には総選挙が行われる。そこで、共産、立民、民民、社民の反日野党が壊滅する。その上で改憲手続を粛々と進めればよろしかろう。

 今回の武漢肺炎騒ぎの最中も、反日野党は「桜ガー」「森友ガー」「アベガー」と不要不急の空騒ぎを繰り返し、国会審議の進行を妨害し続けてきた。来たる総選挙では、必ずや国民の厳しい審判が下されることだろう。

 逆にだ、あれだけの醜態を見せつけられても、それでもなお国民が反日野党を支持し、その議席数を増やすのであれば、改憲など不可能だろう。その場合は「日本おわた」ということ。日本は、支那アメリカの狭間ですり潰されて、疲弊したところを支那に領土を侵犯されても何も出来ず、独立国家としての命運を断たれるだろう。そうなれば、改憲などしてもしなくても同じ。チベットウイグルのように、あるいは香港のように、中国共産党支配下におかれた「国」が、どんな「憲法」を持とうが意味が無かろう。それが明日の日本の姿だ。

 それに、これは若い人たちに言っときたいことだが、武漢肺炎騒ぎを通じて、日本が「老人支配国家」であるということが再確認できたと思う。「老人の不安」が「緊急事態宣言」をもたらした。「ロックアウト」までは行かなかったのが幸いだが、まだ油断はできない。

 経済活動の統制により、若者が困窮し、失業しようが、経済死に追い込まれようが、「老人」は痛くもかゆくもない。そもそも「経済」なんて知ったこっちゃない。「ロックアウト」が半年1年続いて、若い失業者の群れが大量発生し、生活苦からの自殺に追い込まれる例が多発しようとも、自分が受給している老齢年金は1円たりとも減らないのだから。統制解除によって、ウイルス感染が再拡大する可能性の方が、百倍千倍怖いのだ。

 そんな「老人支配」から日本を取り戻すためには、選挙に行くのが一番。「老人」は必ず選挙に行っている。だから、与党野党問わずに政治家は「老人」に逆らえない。逆に、若い世代は選挙に行かないから、政治家は彼らの利益を考慮する必然がない。

 支持政党などどこでもよろしい。反日野党でもけっこう。無党派であるならなおさらのこと、次の選挙じゃ絶対に投票に行ってほしい。「老人支配国家」の軌道を修正するには、それが唯一の方法だ。