三鷹食堂日記帖

飯食い酒飲み自転車をこぐおやぢの日常。MT車大好き。

図書館の不幸

 誰だったか失念したが、売れっ子作家が地方で講演した際に、地元名士の奥様と思しき妙齢のご婦人から、こんなことを言われた。

「先生のご本は大人気で、図書館で何か月も待たなきゃ借りられないんですのよ」

「本屋さんで買ってくださいよ」と作家がつっこんだか「心の声」で済ませたかは知らんが、切実に「買ってくださいよ」だよなあ。作家にしてみれば印税に直結する新刊購入が命綱。それに準じた新古書店での流通も「無い」よりはマシだろうし。

 ベストセラーの人気本が図書館に入ると、予約が集中する。「予約状況」の一覧を刷り物にして掲示したりしているが、100人待ちはしばしば。200人待ちなんてのもある。貸し出し期限は2週間。その半分で返すとしても、100人なら100週で2年弱。200人なら3年半もかかる。200人待ちの201人目に並ぶ気にはとてもなれないし、「だったら買うか」が当然だろうと思ったら、違うんだな。

 そういう種類の人たちは、何年も前から、その時々の人気本を予約してるので、2年遅れ3年遅れで順番が回ってくる。東野圭吾の最新刊を予約しつつ、宮部みゆきの2年前の新刊を予約しといたのの順番が来て読む、という感じ。

 彼らにとっては「本は図書館で無料で読むもの」であり「金を払うもの」ではない。ハッキリ言えば「金払ったら損」「金遣ったら負け」と確信している。上記の「妙齢のご婦人」の旦那は年収ン千万で、億レベルの資産家であるのはほぼ確実だが、その富裕層においてすら「本は無料。金遣ったら負け」という感覚が存在する。

 本当に「本が無料」だったら、それを執筆する作家、出版する版元、流通させる取次や書店には1銭たりとも入らないことになる。業界そのものが瞬時に消滅するだろう。また、本の買い手が図書館だけなら、流通量は10%以下になる。10分の1の売上でやっていける業界が存在するか?

「ただほど高いものはない」というが、この「無料」が、最終的にどんだけ「高いもの」につくか、考えたことがあるのだろうか?