神戸市須磨区で末期患者を看取る「看取りの家」開設計画が、住民の反対運動で頓挫した、というニュース。「あたしゃまだ死なないからさ、ウチの近所で死んでもらうのは嫌なのよ」という爺婆が反対したわけだ。なんて馬鹿なんだろう。
市川市の保育園建設に「こどもが騒いでうるさい」と反対したのも年寄り。港区の母子施設に「治安が悪くなる」と反対したのも年寄り。…こちらは無事開設の運びとなりましたが。
この手の「反対運動」は、たいがいが年寄り。現役世代は仕事やら学校やら忙しくて、そんなことしている暇がない。一日じゅう家にいて、時間だけはいくらでもある爺婆が、近所の動向に目を光らせ、ちょっとでも気に食わない施設が作られそうになると、全力をあげて反対する。
で、ついに、まだ生きている年寄りが死にそうな年寄りを排除するという「年寄りが年寄りに反対する」事態に相成ったわけだ。反対している年寄りも、もう何年かすれば「反対される側」に回る。その程度の想像力はあるだろうに、それでも反対する。
薄々気がついているのかもしれない。年寄りそのものが「害」であるということに。「汚らしく年取って、目障りだ」とか「ヨロヨロ歩いて道ふさいでんじゃねーよ」とか「あたしゃまだ若いからさ、ウチの近所で年取ってもらうのは嫌なのよ」とか、口には出さないが周囲の誰もが思っている…そんな被害妄想にかられているから、本来「仲間」である年寄りの、一番弱い部分を切り捨て、排除しようとしているのかもしれない。
もう一度書いておく。なんて馬鹿なんだろう。
https://www.kobe-np.co.jp/news/sougou/201905/0012350583.shtml