三鷹食堂日記帖

飯食い酒飲み自転車をこぐおやぢの日常。MT車大好き。

安心は買えるのか?

 庶民と言うか大衆と言うか、つまりパンピーは、何十年経ってもまったく変わらない。いやさ、トイレ紙騒ぎの件だよ。70年代の石油ショックの頃から、まったく進歩していない。

 いや、年年歳歳ますます愚かになっているのかもしれない。石油ショックの時は「紙を作るのには石油が必要だから、石油が止まると紙が無くなる」という噂で、トイレ紙騒ぎが起きたのだった。噂の背景には一応「事実」があった。

 今回は「トイレ紙は支那から輸入されているから、武漢肺炎のせいで輸入されなくなる」という噂だった。実際は、トイレ紙はほぼ100%国産。すなわち事実無根。
 それでも不安に駆られた客が殺到すれば、トイレ紙はドラッグストアの棚から瞬時にして消滅する。「ほら、やっぱり無くなった」となり、不安がさらに増大する。

 自転車の荷台に山のようにトイレ紙を積んだ爺や、両手にトイレ紙のでかいパックを一つずつ下げてよたよたと歩いてる婆をそこかしこで目撃した。彼らが買ったのは、トイレ紙という形の「安心」なのだろう。

 でだ、この先どういう事態になるか、予想してみよう。

 ドラッグストアは客に文句を言われるのが嫌だから、トイレ紙の発注量を増して、トイレ紙の生産と流通が一時的に増大する。爺婆はさらなる「安心」を求めて、トイレ紙を買い漁る。そして、広くもない家がトイレ紙で埋め尽くされたところで、ようやっと買うのをやめる。

 その間も、トイレ紙流通は増大するから、ドラッグストアの店頭にトイレ紙があふれる。で、あんなにかさばるものを置いておくだけでコストがかかるから、売れ行きが止まった時点で、ディスカウントが始まる。ストア同士の競争…在庫処分したもの勝ち…で、どんどん値段が下がってく。半額以下になるだろう。

 そして、トイレ紙に囲まれて暮らす爺婆は、この先の半年1年、買い貯めたトイレ紙を消化する日々を送る。店頭のディスカウント値段の倍以上で買った、割高なトイレ紙を。

 まっこと「安心」は高く付く。というか、「安心」を買ったつもりで、別の何かを買ってしまったのかもしれない。例えば、老後資金のいくばくかを無駄に費やしてしまったという「不安」を。その「不安」を解消するための「安心」は、どこへ行ったら買えるのだろう?