三鷹食堂日記帖

飯食い酒飲み自転車をこぐおやぢの日常。MT車大好き。

8050問題の「最適解」?

 30歳でこどもを作り、60歳で定年。75歳で死ぬ、という人生モデルを考えてみよう。自分らの親世代(戦中生まれ)の場合、定年時点でこどもは一本立ちしてる。親はとうに死んでる。だったら、その後の15年間を「悠々自適」で過ごせただろう。いや、75歳とは言わず、80歳90歳100歳までも。なんたって「人生100年時代」だから。

 自分ら世代の場合、上記の如く、親は75歳くらいじゃ、まだまだ元気いっぱい。90歳まで生きてるなら、自分自身が定年になるまでケアする必要がある。高級老人ホームに入れたなら、貯金する余裕など無い。自宅介護のために離職したりすれば、厚生年金受給資格も失っているかもしれない。「悠々自適」など夢のまた夢。こども? 結婚もできなかったのに、いるわけがなかろう。

 それこそが、自分の同世代の一部が、現に体験している「地獄」なのだと思う。自分は60代で無職かつ無年金。親は90代で年金そこそこだが要介護でこども頼り。親が死ねば面倒は無くなるが、同時に年金も無くなる。

 だったらば、親をサクっと逝かせた上で介護不要のミイラ的に保存し、生存を偽装して年金をゲットし続けるのが「最適解」だろう。そんな例がいくらでもあるんじゃないか、と邪推する。

 役所的にも「暗黙の了解」なのかも。田舎なら特に。老齢年金は支給できるが、生活保護は難しい、てな条件なら、まさに。

 うわ。想像してしまった。日本全国津々浦々に祀られてるミイラ。それを祀ることにより、老齢年金をゲットしてカツカツの暮らしをしている、餓鬼の如き爺婆の群れ。

消えた年金」問題の時に、江戸時代から生きてる爺婆がいた、てな話があったと記憶するが、上記の先駆と考えれば納得がいく。役所の担当者が「見て見ぬ振り」をすれば簡単な話。

 どうなんだろう、そこらへんの確認ができるのだろうか? 「おたくのお爺ちゃん(お婆ちゃん)生きてますよね?」ちう確認が。「死んでる」前提の「死んでる」確認は簡単。家族が「生きてる」と強弁するのに対抗する「死んでる」確認はどうすんだ? 医師同伴で無理くり家に上がりこんで確認するしかないが、そんなことが可能なのか?

 で、不正を摘発したとして、犯人は無職無年金の60代以上。65歳以上なら「高齢者」。実刑を処して務所に入れるか? 入れても1年かそこらで出所だろう。その先はどうする? 生活保護しかなかろう。

 そこまで考えれば、「見て見ぬ振り」もあり得る。90で死んだ爺婆の死を10年隠せば、隠した当人は70代。「良心の呵責」的なもんがあれば、それまでに死ぬ可能性大。死んだところで不正を明らかにすれば、コスパ最高(笑)

 これが少子高齢社会の底辺の暗部。ミイラ寺と化した都営住宅。死臭を紛らわすためにもうもうと焚かれたお線香の煙が催涙ガスのように漂う現世の彼岸。恐ろしい。