三鷹食堂日記帖

飯食い酒飲み自転車をこぐおやぢの日常。MT車大好き。

まだ見ぬ仲間、会う前の友達

 仲間とか友達ってのは、生活空間を共にする人間関係から生まれるものであるが、それ以外にも、様々なチャンネルを通じて、同等かそれ以上の関係を構築できる。そのことに自分が気がついたのは、田舎の中学生時代だ。ラジオの深夜放送や、雑誌の読者欄、それに通信教育のコメント欄などを通じて、自分の生活空間にはいないが、日本のそこかしこに「同志」が存在することを知って、心ときめかせたものだった。インターネット環境が当たり前の現在ならば、もっと簡単かつ濃密だろう。

 そうだよな。村じゅう総出で田植えや稲刈りをしていた時代なら、隣り近所にいる人間以外に仲間も友達も存在し得なかったが、ネット時代の今なら、その気になれば世界中の誰とでも「繋がる」ことが可能なわけだ。そして、その「誰か」との繋がりをきっかけに、世界のどこへでも行くことができる。日本は自由世界の先進国であり、多少陰ったとはいえ、豊かさにおいては世界でもトップクラスなんだから。

 だから、現在日本の少年たちは、学校やら何やらの閉鎖空間に閉じ込められて、窮屈な思いをする必要はない。まして、イジメその他で苦しまされる必要なんて、耳糞ほどもないだろう。そんな下らない人間関係なんて、自分から切り捨ててしまえばいい。世界の少なくとも百箇所には、自分を温かく受け入れてくれる友達、自分の力を必要とする仲間たちがいるんだから。

 でもまあ、そんなことを親や教師が言ったところで、こどもの耳には入るまい。自分自身で気がつかなきゃダメ。あるいは、そういうことを気づかせてくれる仲間や友達こそが必要なんだ。仲間内に閉じこもり、友人関係に縛り付け合うのではなく、「今ここ」から外へ向かうベクトルを与えてくれるような、そんな「友人」が。

 同じクラスにはいないかもしれない。同じ学校にも。でも、すぐそばにいる。彼らに会いたいと思ったら、そうだな、とりあえず本を読んでみることだ。