三鷹食堂日記帖

飯食い酒飲み自転車をこぐおやぢの日常。MT車大好き。

ゆとり教育から中学受験へ

 現在はもう止めてしまったらしい「ゆとり教育」だが、こどもの小学生時代はまさにど真ん中だった。具体的にカリキュラムがどうとかは分からない。親の目から見てもすぐに分かったのは、「全員が満点」ということだった。勉強をする子もしない子も等しく満点が取れる、そんなレベルのテストだった。通知表も「絶対評価」だったから、全員が「優」。
 …もちろん、そんな学校にも「落ちこぼれ」はいただろうし、「できる」「できない」の違いもそれなりにあったのだろうと思うが、全体の印象としては「全員が満点」。
 で、親は二種類いて「勉強しなくても満点なら、それでいいんじゃね?」という親と「勉強はしなきゃダメだろ」という親。割合にすれば3対7くらい。後者のほうが多数派。で、後者の親はこどもを塾に通わせることになる。「勉強する習慣くらいはつけなきゃ」と。
 塾に通い始めたこどもがすぐに分かるのは、塾と学校では教えるレベルが天地ほど違う、ということ。塾の目的が「中学受験」にあり、中堅以上の学校に入るためには、相当の学力と努力が必要だということ。
 また、教育的見地からはよろしくない事態も生じる。こどもが学校や教師を軽んじる。その「気持ち」は分からんでもない。学校で教わっていることが「基礎の基礎」に過ぎず、そっから先は教えてくれない。勉強してもしなくても「全員が満点」だから、「勉強ができる」ということが、学校におけるステイタスに結びつかない。さらに、こどもの間にも格差が生じる。塾に行ってる子は当然の如く知っていることを、行かない子は知らない。
 そこで、こどもの目に映る「将来」が二つに分かれる。「塾に行ってない子たちと一緒に地元の公立中学に進学する」という道と「中学受験に挑戦する」という道に。
 こどもが「中学受験をしたい」と言い出した時点で、親は初めて上記の事態に気がつく。「金かかるじゃん」が第一。さらに「いい学校入るのはムチャクチャ大変じゃん」が第二。
 実際のところ中学入試は「ムチャクチャ大変」なのだ。勉強のレベルが、学校が1、塾が3だとすると、中堅以上の中学に合格するには10~20の勉強が必要になる。嘘じゃない。試しに書店に行って私立中学の過去問集(大学入試の「赤本」的なもの)を見てみればいい。大人が見ても何が何やら見当すらつかない難問だらけだ。特に算数。開成中学の入試問題など、自分は1問も解けなかったし、解法のとっかかりすら分からなかった。
 一つだけ問題を紹介しよう。「社会」の問題だ。
「荘園制度を終わらせる大きなきっかけとなった歴史的事件は?」
 正解は「太閤検地」。要は、それによって農地の「実効支配者=殿様」と「耕作者=百姓」の一対一関係が確認された、ということなのだが、興味がある人は自分で勉強してちょ。
 自分自身が分からなかったのは当然として、会社の先輩で、大学で史学を専攻した人にも聞いたが、即答できなかった。単にクイズの回答じゃなく、政治経済システムの変遷や事件の関連の結果として答えるためには、日本史に関する相当に深い理解が必要だと分かった。
 いきなりそんな「世界」に放り込まれることになったのだ。小学生のこどもと、親である自分までが。