三鷹食堂日記帖

飯食い酒飲み自転車をこぐおやぢの日常。MT車大好き。

「教育は格差拡大装置」

 橘玲「教育は格差拡大装置」はまさにその通り。だから有り難いんじゃないか。被差別部落に生まれついても、家庭が貧困でも、教育をテコに脱出できる。東大出て高級官僚にも高級リーマン(笑)にもなれる。部落の子がそれ以外の子より低学歴になりやすいとして、その理由は「底辺でも生きやすい」と考えることがあるとすれば、底辺に税金つぎ込んで「生きやすく」してやってる、そのこと自体が低学歴化の要因だっちゅうことじゃないの。

 解決方法は簡単だ。こういう言説をタブー視せずに大いに広めて、当の「部落の子」にも正面から突きつけることだ。その上で「低学歴で良い」というのなら放っておくしかない。でも少なからぬ子たちは「それじゃイケナイ」と学業に奮起するんじゃなかろうか。そういう子に教育の機会を与えるのが「公」のなすべき仕事だろう。

「すべてのこどもが努力して勉強し、大学を目指すべきだ」という現在の教育制度、と橘は言うが、正確には「それを希望する」という前提条件が付く。勉強したくない子はしなければいい。義務教育だけで十分だろう。で「中学卒業資格」は不登校300日でも得られるんだろ? それでいいじゃん。

「高校進学する気のない中学生」を専門に受け入れる公立中学を作る、という選択肢はある。最低限のコストで運営される。校舎はない。教員もいない。インターネットのサイトに登録するだけ。だから通学する必要もない。つか不可能。3年後に「卒業試験」を行い、名前が書けていれば全員合格。「中卒資格」が授与される。

 要するにさ、中学、高校、大学とあって、それぞれで「学ぶべきこと」があり、それを十分に学んだと判断された者が卒業し、上に進学する…そういう形にはなっていないわけだ。現実問題として。高校までにそれを全うしてるのは、「一流大学進学者」のみでしょう。高卒は、高校までに学ぶべきことの半分も学べてないし、中卒は、中学までに学ぶべきことの1割も学べてない、というのがおそらく現実。その現実に沿う形で、教育機関を再編すればいい。高校はすでにそうなっているよな。カリキュラムなど形だけ。「義務教育」の建前の中学が問題なんだ。「読み書きと電卓の操作ができればオケー」ぐらいまで最低nivelを下げてやんなきゃ。

 ああ、それがおそらく橘玲の「結論」でもあるのだろう。でも、言えやしないよ、と。費用対効果とか、コストの問題を考えれば当然の結論なのだが、それだけに、と。

https://diamond.jp/articles/-/201222