三鷹食堂日記帖

飯食い酒飲み自転車をこぐおやぢの日常。MT車大好き。

「そして、バトンは渡された」(ネタバレ含有)

 離婚と再婚により、複数の「父母」へと次々とリレーのバトンのように渡されていくヒロイン優子の、結婚までの物語。「継母もの」「継子イジメ」に典型があるように、伝統的に「不幸」を演出するための舞台装置を逆転させ、継母継父たちが寄ってたかってヒロインを幸せ満点に育ててしまう物語にしたのが、著者のアイディアでかつ力量の現れ。

 それ以外にも複数の「逆手」が効いている。通常ならヒロインに毒牙を向けるだろう「金満ジジイ」は、アンタ神さまかいってくらい太っ腹で心の広い紳士だし、同じく通常ならヒロインを苛めた挙げ句、邪な欲望を…の「東大出のエリート」も天使クラスの人格者で、ある意味理想の「お父さん」。

 恋愛はあっても「性」はない。中学生高校生ならともかく、短大出て社会人になって成人しても処女で、どうもキスもしたことも無いっぽいヒロインに「ケッ」と思う向きもあろう。自分の中にもある。でも、フリーセックスの昭和は遠く、エイズ時代以降の現在日本の「ちゃんとしたお嬢さん」なら当然のことなのだろう。多分。瀬尾まいこは元中学教師だし、教育的観点からは当然だろう。

  長年教育現場にいて、現実の青少年を観ていれば、非行に走るのは一部、まして性的非行はごく少数で、大多数は健全に平凡に育つ「こどもたち」だというのが常識。自分自身の青春時代の屈折鬱憤を創作世界で晴らそうという、凡百の「作家」とは違うのが瀬尾まいこ先生なのだ。

 優子に対する「父」たちの振る舞いは「大人なら当然だろ」ということで、異論は無い。奔放な若い女と再婚したついでに、連れ子の少女も一緒に夢にまで見た「親子丼」を飽食したい、という邪悪な欲望にまみれた金満ジジイも、中学時代の憧れの同級生に再会後、手玉に取られまくった恨みを連れ子の少女にぶつけて、その憎しみがやがて屈折した恋情に変わって家庭内レイプに及ぼうという東大出のエリートも、「フランス書院」や「アリスソフト」(ってまだあるのか?)限定で、現実世界はもちろん、瀬尾の小説世界に出てきたら速攻チンコを切り落とすわよ、ということなのだ。

 でまあ「当然だろ」に同感するからこそ、万に一つでも現実に「泉ヶ原さん」や「森宮さん」役を演じさせられそうになったら、裸足で逃げ出すだろう。「優子」がどんなに良い子でも同居はダメ絶対。金払って済むならそれで勘弁してほしい。

 …とまあ、ここまでの想像をも楽しませてくれた小説だった。うん。実にすばらしかった(笑)

 一点だけ、瀬尾の「仕掛け」を指摘しておく。このような事態を招いたのは梨花の奔放さとワガママであり、彼女に引っ張り回された結果、優子は複雑家庭の子になってしまったわけだ。その因果がキッチリと応報し、梨花は死病を患っている。ここだけピックアップすれば瀬尾は現代の「滝沢馬琴」である。

 

そして、バトンは渡された

そして、バトンは渡された