三鷹食堂日記帖

飯食い酒飲み自転車をこぐおやぢの日常。MT車大好き。

流行りモノとしての思想

 んー、何か、あれこれ書き足りていないように思う。この際、ちゃんと「斬って」おかなきゃなんないものを放置しているような。何よりも、自分自身の過去に。読んできた本の大半も実のところ、ろくでもなかったし、折々にハマった「思想」やら「哲学」も偽物だらけだった。サヨクのようなインチキならまだ分かる。結局のところありゃ何だったんだ、ってなマボロシみたいなものも多い。構造主義とか「ポストモダン」なんて、どこに行ってしまったんだ? つか、なんであんなもんが流行したのだろうか。

 ファッションみたいなもんか。その時は「かっこいい」と思って身にまとっているが、後から見ると「なんであんなカッコしてたんだ?」と珍妙に思える。元型とか、シミュラクラとか、スキゾとか、そうした概念をこね回している自分が「知的」と思っていたのが、醒めてしまうと馬鹿に思えてしまうような。とまれ、常に「何か」を身にまとわざるを得ないし、「何か」を考えざるを得ない。今だったら何だろう? クールジャパン的国粋主義…は、アホらしい限りなのだが。

 自分としては、年相応にアタマ固くなりつつも、老獪さもそれなりに身に着けた、口先リベラルの本音保守ってとこか。で、「小金持ち喧嘩せず、無駄遣いもせず」と。老はしかたないが、老害や老醜を憎む美学は守りたい。何よりも自分自身において。自分大事はしょうがないが、度を越して他人に迷惑をかけたり、見苦しいふるまいをするのは避けたい。そのためには、何よりも、ちゃんと動ける体と頭を維持することなのだ。それがすべての基本。