三鷹食堂日記帖

飯食い酒飲み自転車をこぐおやぢの日常。MT車大好き。

ランドについて

「ランド」について考える。要は遊園地だろうに、別格に有り難がる連中の存在が理解に苦しむ。武漢肺炎空騒ぎ下で、入園できたの出来なかったのと笑ったり泣いたり。こどもならいざ知らず、いい大人が。

 自分にとってのEspaña旅行くらいの「価値」があるのかな、と想像してみるが、分からん。España旅行に対しても同じような冷笑が可能だとは思うが、だったら、逆にだ、日曜朝のプリキュアがリアルタイムで観れたか観れなかったかの女児の喜怒哀楽に、親は本気で共感できるか? 気持ちは分からんでもないが、幼く世間が狭すぎるが故のこと、と軽んじるだろ。

 ランドファンに対する自分の思いも基本的に同じこと。精神的に幼稚で、人格的に矮小で、趣味的に貧しい。貧しさは、経済力の問題じゃない。1億円かけておっ立てた「豪邸」の明かり取りの窓がネズミのシルエットだったりしたら、単にそれだけで、施主と親密な交際が可能だとは思えなくなる。

 で、この手の人間の特徴は、幼稚で矮小で貧しい自分自身を、恥ともなんとも思っていないこと。堂々と「ファン」であることを公言し、行動する。で、呆れられたり、批判されたりすると、とんでもなく不当な扱いを受けたと感じ、深く傷つき、恨む。あれだ、SだMさしファンと一緒。100パー善で正しいSだ(と自分)を批判する奴らは人間じゃねえ、叩っ斬ってやる、と脳がショートする。

 世の中には「幼稚な大人」というのが相当割合いて、その一番分かりやすい例が、ランドファンなのだろう。インテリにだっている。会社の先輩だったKの「巨人が負けて悔しい自分の気持ちを察して欲しい」てな。「そうですねえ」と大人の対応をしたが、内心はもちろん「死ね!」だった(笑)

 自分自身、相当に幼稚だからこそ思うのかもしれない。でも、その幼稚さを韜晦する余裕をも十分に保持しているつもりだ。

 一番分かりやすい幼稚さは、社会性、社交性の欠如。割増退職金で3年前倒して早期退職したのが一番の表れ。その後はひたすら世間を狭くして生きてきた。嫁さん方面の「社交」にも極力関わっていない。実家との関係もそう。大人の態度とはとても言えまい。

 で、Españaへの逃亡チャンスをうかがっている。ネバーランドに逃げ出そうとするピーターパンのように。そういや、そういう「シンドローム」が取り沙汰された時代もあったっけか。