三鷹食堂日記帖

飯食い酒飲み自転車をこぐおやぢの日常。MT車大好き。

「女と男」続々々

 橘本の乱交脳/純愛脳は啓発されるところ大だった。もう何十年か昔、レディコミの編集をやってた時代に「女向けエロまんが」を企画したのは無理筋だったと改めて分かった。アルファ男のこどもをベータ男に育てさせる托卵まんがをやればよかった(笑)

 も一つ思い出した。学生時代に読んだ、村上もとか赤いペガサス」では、ケンの妹ユキはぺぺのこどもを身籠り、ぺぺは事故死する。生まれるこどもはケン&ユキの「きょうだい夫婦」が育てることになる。これぞ「托卵」。まんがサークルの先輩(露文専攻)が「絶対に認めない」と怒っていたのを今も覚えてる。「男」としては当然だろう。村上もとかはネトラレ属性があったと、今にして理解する。クライマー列伝で幼馴染が金持ちの嫁になる話とか、それを「美学」とする傾向があり、そのため「男」の反感を買うことがあったのではないか。

 さらにも一つ。「ベルばら」の作品解釈として、オスカルとアンドレを「アルファの座を争うライバル」とすると、意外に単純な構図が見えてくる。オスカルは女だが、軍人としてはアンドレをしのぐアルファ。そのオスカルにアンドレがベータとしてひざまずくことにより、アルファをゲットしてベータを従えるという、「女の理想」が実現する。

 女帝願望というのも、アンドレ的宰相or将軍がいてこそだろう、と。あくまで1対1の永続的な「純愛」関係として。となれば、こどもの父親は実は…でいいわけだ。そんな映画があったよな。「ブレイブハート」だ。反乱軍のトップの実質アルファの種を王妃が宿すという。「ダ・ヴィンチ・コード」もそうか。キリストの種を宿したマグダラのマリアが、フランス王家の元祖となる、と。これらは実は「女の映画」なのだ。

 …と、さんざネタバレ書きまくってしまったが、どれも古い作品だから、いいよね?