三鷹食堂日記帖

飯食い酒飲み自転車をこぐおやぢの日常。MT車大好き。

令和になっても「村八分」

 法治国家においては、人々の権利を制限する場合は「法」が不可欠。「法」は一目瞭然で簡便であることが必要。例えば「人を殺せば死刑」という風に。

 それで「死刑は嫌だな」と人々は考えて、「人を殺す権利」の制限を受容する。「そんな権利があるんか?」という人は、バビロニア以来の法律の歴史を勉強なさい。

 もしも「法」が存在しない社会があったとする。そこじゃ、あくまで「人を殺さないで下さいね」という「殺人の自粛要請」しか行われない。で、「自粛だろ? 俺は従わない。殺しちゃうよ」という人間が現れたら、そいつを皆でリンチして殺しちゃう。結果、「法」による死刑とさほど変わらない抑止効果が期待できる。

 さて現在日本の問題だ。「パチンコ屋の営業を停止する」には「法」が不可欠。「営業停止命令に違反すれば罰金ン万円」という風に。それじゃ一方的すぎる、というのなら「営業停止1日に付きン万円の補償金を支払う」という「法」も必要かもしれない。どちらにしても一目瞭然で簡便であることが必要。

 その「法」無しに「営業を自粛してくださいね」と要請し、自粛してもらえたら、それでオケー。ごく一部に自粛しない店があったなら、店名を晒す。皆で告発し、電凸し、閉店に追い込む。結果「法」による規制同様の効果を実現する。

 こういうのを「村八分」と言うんじゃなくって? 江戸時代に存在したと言う。

 こういう実例を見せつけられるにつけ、「都会に住んでて良かった」と思う。同じく「村」でも、逃げ場がいくらでもあるから。田舎住まいで自営業で「パチンコ屋」だったりした日にゃ、首くくるしかない状況に追い込まれかねない。