三鷹食堂日記帖

飯食い酒飲み自転車をこぐおやぢの日常。MT車大好き。

あいちトリエンナーレの件

 アーティストとその業界以外で生活する現在日本のパンピーが「表現の自由」というのはどういうものなのかについて考える、良い機会になったと思う。あいちトリエンナーレの件だが。

 これまでは、せいぜいアラーキー会田誠レベルだったわけだよ。それがイッキに限界点にまで近づいた。その意味じゃ、展覧会の中止は尚早だったかもしれない。主催した側の「被害者アピール」を許してしまう。あえて会期いっぱい展示させて、国民全体のコンセンサスを確認すべきだった、と思う。

 そもそも「表現の自由」は、世界のどこでも通用するもんじゃない。映画「ダイ・ハード」シリーズで、テロリストに脅迫されたブルース・ウィルスが「アイ・ヘイト・ニガー」と書いた看板のサンドイッチマンになって、ニューヨークの黒人地区に立つ、というシーンがあった。あれを考えれば分かるだろう。

表現の自由」を標榜するアーティストにしても、TPOをしっかり勘案して、「多少の物議を醸すだろうが、『多少』でとどまる」というレベルでやるのが当然。死にたきゃないだろうし(笑) で、物議を醸せれば「成功」なわけだ。

 今回のあいちもその予定だったのだろうが、「成功」し過ぎてしまった。結果として、現在日本のパンピーに「表現の自由」というのはいかなるものか、知らしめることとなった。

 で、これは声を大にして言っておきたいことなのだが、モノホンの完全な「表現の自由」を認めるなんてのは、古今東西のあらゆる社会であり得ないことなのよ。突き詰めればどっかで「それだけは許せん」という反応を喚起する。そして、その社会における「表現の自由」を、より狭くする結果をもたらす。

 津田大介という金髪デブが、どういう人間なのか不勉強にして知らんが、現在日本における「表現の自由」を相当レベルで圧迫し、萎縮させるという「仕事」をした。それだけは確実。
 人生の少なからぬ時間を「表現」に関わる商売で飯を食ってきた人間の一人として「腹を切るべきである」と申し上げとく。

追記:

 この件に関しては「お金の問題」として主催責任者を追及すべきだろう。公金の支出は停止が当然。すでに支給されていたら返還を求める。また、イベント中止に伴う損害を弁済してもらう。ああそうだ、「不愉快な思いをさせられた」市民から、精神的苦痛を受けたことについての、賠償訴訟が起こされるかもしれない。それにもキッチリ対応していただく。

 そうやって、この種の愚行が「高くつく」ことを思い知らしめる。「バイトテロ」に対するのと同様に。それが肝要。

 この手のことをやらかす連中ってのは、非難されたり、抗議を受けたりしたら「話題になった」と逆に喜ぶし、展示が中止になれば被害者ヅラもできて、一石二鳥だってくらいに思っている。税金にたかるのは大好きな反面、身銭を切るのは死ぬほど嫌がる。そこを徹底的に突けばいい。