三鷹食堂日記帖

飯食い酒飲み自転車をこぐおやぢの日常。MT車大好き。

「安心」は罠

 最初に警句を一つ。

渡る世間は鬼ヶ島 イヌサルキジも金次第 タダじゃやれないキビ団子

 出典は秘密だが「金言」として掲示しておきたく思う。

 そして「安心」は罠。これが本論。

 今は昔、「水と安全は無料」の国がありました。それ以外の国じゃどちらも有料で、とりわけ「安全」には相当のコストがかかっていたので、「夢のような国だ」と大いに感心され、同時に呆れられたのでした。その国は、とうに滅びてしまったのですが、それに気がつかない人々が現在もまだ生きながらえていて「何で金を取るんだ」と怒っていたりします。

 で、そうした浮世離れした意識の延長線上に「安心」があるわけだ。常識があれば「安心」というのは、一時的な心理状態に過ぎず、「不安」や「不快」「不満」その他が悪天候のごとく続く中の、ほんの一時の「晴れ間」でしかないことが分かるはず。そして、それをもたらすのは、自分自身の「覚悟」以外の何物でもないということも分かるだろう。

 その「安心」を他者からもらえるものだと思った瞬間、騙されていると思いねえ。そもそも具体的には何なの? 「100パー絶対完全無欠の安全保障」? そんなもん世の中にあるワケがない。だからこそ、騙しの決め台詞となる。「これで老後は安心ですよ」「安心して我々にお任せください」「安心をお届けします」などなど。

 反論してみたらよろしい。「安心って、心が安らぐってことだよね。アタシの心はアタシだけのもので、それが安らぐも揺らぐも、喜ぶも怒るもアタシ次第。それをどうやってアンタが保障できるんだい?」と。「それはもう皆様、安心していただいてますから」と言われて「安心」したらそこで試合は終わり(笑)

 まあ、自分の「安心」を他者に要求してる時点で、そいつは終わりなんだけどね。