最初に警句を一つ。
渡る世間は鬼ヶ島 イヌサルキジも金次第 タダじゃやれないキビ団子
出典は秘密だが「金言」として掲示しておきたく思う。
そして「安心」は罠。これが本論。
今は昔、「水と安全は無料」の国がありました。それ以外の国じゃどちらも有料で、とりわけ「安全」には相当のコストがかかっていたので、「夢のような国だ」と大いに感心され、同時に呆れられたのでした。その国は、とうに滅びてしまったのですが、それに気がつかない人々が現在もまだ生きながらえていて「何で金を取るんだ」と怒っていたりします。
で、そうした浮世離れした意識の延長線上に「安心」があるわけだ。常識があれば「安心」というのは、一時的な心理状態に過ぎず、「不安」や「不快」「不満」その他が悪天候のごとく続く中の、ほんの一時の「晴れ間」でしかないことが分かるはず。そして、それをもたらすのは、自分自身の「覚悟」以外の何物でもないということも分かるだろう。
その「安心」を他者からもらえるものだと思った瞬間、騙されていると思いねえ。そもそも具体的には何なの? 「100パー絶対完全無欠の安全保障」? そんなもん世の中にあるワケがない。だからこそ、騙しの決め台詞となる。「これで老後は安心ですよ」「安心して我々にお任せください」「安心をお届けします」などなど。
反論してみたらよろしい。「安心って、心が安らぐってことだよね。アタシの心はアタシだけのもので、それが安らぐも揺らぐも、喜ぶも怒るもアタシ次第。それをどうやってアンタが保障できるんだい?」と。「それはもう皆様、安心していただいてますから」と言われて「安心」したらそこで試合は終わり(笑)
まあ、自分の「安心」を他者に要求してる時点で、そいつは終わりなんだけどね。