三鷹食堂日記帖

飯食い酒飲み自転車をこぐおやぢの日常。MT車大好き。

編集者は「おかあさん」

 作家にとって担当編集者というのは「おかあさん」なんですよ。と、あえて断言してみる。そう考えると分かりやすい。

「あなたが一番大切なの」と言ってくれる。学校の成績が悪かろうが、逆上がりができなかろうが、性格的な欠陥があろうが「あなたはよいこなの」と褒めてくれる。失敗しても「次はきっとできる。あなたには才能があるから」と励ましてくれる。ナンバーワンになれなくとも「あなたはオンリーワンだから、その方がずっとすばらしいの」と言ってくれる。まかり間違っても「お隣の〇〇ちゃんはTOEIC800点だって。あなたは何? 英検4級も受からないの?」なんてことは言わない。

 そういう「おかあさん」だから、初版部数やら実売やら「数字」の話は基本的にしないし、する場合もとことん気を遣って、作家の気持ちを傷つけないようにする。特に実売部数は分かってても分からないふりをする。(実際の話、本は再販制&委託販売だから、実売数は分かりにくい。1万部出庫しても、数か月後に9千部返品されることもある)

 見城発言に対する「作家」の反発の中には「おかあさんがそんな酷いことを言うなんて」というニュアンスが多分に含まれていたのではないか。

 自分は見城発言に「作家へのリスペクト」を感じたのだが、彼は「おかあさん」ではなく、強いて言うなら「おとうさん」なのかもしれない。星一徹的な? 現実である「数字」を率直に述べた上で「担当者の心意気に賭けて文庫化も決断した」と言う。

 その文庫化がこじれて、幻冬舎から早川に変わってしまった「事情」は分からんが「百田をディスってるあんたの本は出せないと見城が津原に通告した」なんて一方的なもんじゃ無かっただろう、てな想像はつく。作家と出版社のトラブルは実は「よくあること」だが、トラブルがこじれて決裂する場合はたいがい、より我慢強いのは出版社で、より容易くキレるのは作家の方だ。

 ここでまた「おかあさん」のたとえを出すが、こどもが「おかあさん」の意に沿わぬことをして「おかあさん」が困ってしまうことがある。ここで「おかあさんが困るようなことはしない」と行いを改めるこどもは、実はあまりいない。いるとしたら「姿はこどもで中身はおとな」。さらに一層困らせて、それでもなお「あなたが一番大切なの」と言ってくれることをこそ、こどもは期待する。だって「おかあさん」なんだから。そうじゃなかったら「おまえなんて本当のおかあさんじゃないやい!」言い捨てて家出する。

 …そういうこともあるのかもしれない。あくまでも可能性として。