三鷹食堂日記帖

飯食い酒飲み自転車をこぐおやぢの日常。MT車大好き。

「電車男」続き

一晩おいてあらためて思うに、恋愛映画としてはかなりの傑作なのではないかと、評価を上方修正する。中谷美紀を「老けてる」と決めつけて、ファンのかたがたの反発が怖いのだが、自分としては、中谷は、あえてエルメスを設定22歳の電車男山田孝之・21歳)より10歳以上年上の30代女性として演じたのではないかと思う。そして、その判断は実に正しかったと評価している。
中谷エルメスは、ある種の30代独身女性の、漠然とした閉塞感を実にうまく表現していた。アッパーミドルの「家つき娘」、それも一人娘として、ストレートに育ち、一流女子大出て、名の通った企業に(おそらくは父親のコネで)就職し、とりたてて事件も苦労もないまま10年が経った。男性との付き合いが無かったわけではないが、どれも長続きしなかった。(実は処女、というのも十分あると思う) 30を越した頃から、合コンの類の「お誘い」はめっきり減った。別に不満は無い。男と付き合うより、女友達と美味しいものを食べに行くほうが楽しい。そもそも恋愛体質では無いのではないか、と感じている。
でも…このままでいいのだろうか? 両親は「エルメスの好きにすればいい」と言ってくれるし、見合い話を持ち込むおせっかいな親戚のおばさんもいない。仕事はそれなりに楽しいが、男性みたいな「出世」はしたくない。現在が永遠に続けばいいが、そうはいかないのも分かっている。
で、そんなエルメスが、文字通り「劇的」に出会ったのが電車男だった。ちょっとしたお礼(意図して高価なものを送ったという意識は無い)を送ったのが縁で、デートするようになった。エルメスの目に映る電車は「とてつもなく真剣な奴」という感じ。限界を超えて背伸びしているからなのだが、一瞬でも気を抜いたら、地べたに崩れ落ちそうな緊張感がある。こういうキャラクター(あえて「男性」とは言わない)は、エルメスの周囲には存在しなかった。「騎士道未だ滅びず」的な正義感と、自分の非力をかえりみない勇気は、最初から感じて好印象だった。その上、まじめさにかけても相当なもの。世間慣れしないおたくっぷりも、今どき珍しいほどの「純情」として高得点。
ここでエルメスが「柴門ふみヴァージョン」だったら、3回目のデートで電車のダンドリの悪さにあきれると同時にめんどくさくなり「電車くん、セックスしよ」ということになる。とりあえず一回寝てしまえば、二人の関係はずっと自然体になれるだろう、と。
ところが、中谷エルメスは「告白は殿方の義務」と考えている。それが、電車の最大のプレッシャーとなり、さんざっぱら暴走し、自爆しかけるが、「名無しさん」諸氏のはげましによって、最後の秋葉裏通りでの号泣告白となる。エルメスは電車を慰め、誘導して、告白を完了させる。電車はエルメスおねいさんに優しくリードされて、精神的に童貞を喪失したわけだ。良かったね! と。
こうして書いてみるに、あの映画のキャラクターで、自分が2番目に感情移入して観たのがエルメスだったと思う。
ちなみに一番は電車男ではなく、大杉漣の「電車親父」。年も近いし(笑) おそらくはリストラ寸前で家庭も崩壊しているんだよね。ストレスまみれの仕事を終えて、安飲み屋で焼酎お湯割り4、5杯飲んで、誰もいない、灯りもついていない自宅へと帰る途中の電車の中だ。
自分が孤独なのは自業自得だが、どうして周りの連中も寂しそうなんだ? 同じ一つ屋根の下の電車の中にいながら、あいさつの一言を交わすわけじゃない。ウォークマン聴いたり、本を読んだり。愛も潤いも無い東京砂漠の中で、砂粒のような孤独に閉じこもっている、労働者大衆諸君。わかった。キッカケが無いんだな。だったら俺が声をかけてやろう。「おお、君は何を読んでいるのかな?」「何を聴いているのかな?」「ぼくを無視しないで欲しいなあ」「お、喧嘩ですか! やろうやろう。『ファイトクラブ』って映画観た? 良かったよねえ」…てな感じ。
…ホントにやらないよう、気をつけよう。