三鷹食堂日記帖

飯食い酒飲み自転車をこぐおやぢの日常。MT車大好き。

重ねて、モノから電子へ

 自分の場合はけっこう早い時期からだった。紙本を裁断してスキャンしてPDF化する「自炊」にハマったのもその一つ。過去の日記を電子化したのも。可能ならば、自分自身をも電子化して「ネットは広大だわ」とか抜かしてみたい。

 銀行も株取引もネットで電子。確定申告もだ。4か月ほど前にやったスマホのキャリア乗り換えもネットで全部済んだ。「窓口」と「紙」でやることが何かあっただろうか? 4か月に1度の痛風健診で結果を貰うのが「紙」か。処方箋も。「紙」はどんどんやめている。早期退職を機に年賀状もやめた。「本」は今なお半分は「紙」だが、これはブクオフ110円コーナーを偏愛してるのと、嫁さんが買って、読み捨ててる本を読んでるからだ。

 自分の人生で一番大量に保有していた「モノ」は本だった。最大でどんだけ持ってた? スチールの本棚10台が満杯だったっけ。その殆どを廃棄したのも電子のおかげ。電子書籍と自炊だけの話じゃない。ネットで古本を検索、購入するのが極めて容易くなったので、手元に「モノ」を置いておく必要が無くなったからだ。ネットのお陰で事典や年鑑など、リファレンス系が不要になったのも大きい。

 書くのは語学勉強以外、すべて電子。辞書もカレンダーもスマホだから、システム手帳の類も不要になった。逆に読み書きの道具としてのキカイが増えたか。自作機とノーパソのPC2台。KindleとFireとスマホポメラ。長い旅行には自作以外をすべて持っていくから。けっこうな物量となる。ここらへん、まだまだオールドタイプなんだな。若い連中はスマホ1台だろうし。PCちうかキーボード無しってのは、情報の受け手としてはともかく、発信者としてどうかと思うが。ひろゆきが最近出した本で、そんなことを書いてなかったっけ?

 自分にとってはPCがメインで、これが外部脳。他はポータブルな入出力デバイス。本を読むのはKindle。新聞、まんが、雑誌その他はFire。文章を書くのはポメラ。そしてコミュニケーションツールとカメラとしてのスマホ。PayPayでのお財布の役割もあるか。まあ、そのうち整理していくことになるのだろう。忘れてた。肉体管理のシャオミーバンドと体重計。これも重要なツール。

流通のスマート化

 大量生産、大量消費の時代は終わった。これからは、いやすでに、必要なものを必要なだけ、必要な人、必要な場所に届ける時代だ。そのための技術が発達している。昔ならリアル商店に大量の商品を運び込んで、店頭に積み上げて、売りさばき、売れ残りは廃棄された。今は「いるだけ」を自宅に配達してくれる。衣類も雑貨も食品も、まとめて動かせれば運賃もエネルギーも節約できる。ゴミも減る。今は宅配便のトラックだが、そのうちドローンになる。流通拠点からのラスト数キロをドローンが担う。各家庭にはドローン用のポートが設置され、無数のドローンが空を飛び交う。

 だがしかし、それも日本じゃ無理筋かも。既得権益を守るための規制規制規制。アメリカでも支那でもドローンが飛ぶ時代に、日本のみはトラックで荷物を運び続ける。他国はとっくに自動運転なのに、日本のみ人間が運転。その多くは高齢者。事故が多発するだろう。

 世界の未来は明るいが、日本のみが暗い。滅びの言葉「少子高齢」。ならばせめて「安楽死特区」を。各種アンケートを見れば、安楽死尊厳死の法制化を望む国民が圧倒的多数であると分かる。若い世代に資産を再分配し、楽に生きていかれるようにする。そうすればこどもは増える…かもしれない。

 と、このテーマについては、また別の機会に。

モノから電子へ

 自分に引き寄せて言えば、電子書籍がまさにそれ。本、雑誌、新聞として消費していた「紙」の大半が電子に置き換わった。今自分が日常使ってる「紙」は語学のテキストとノートのみ。辞書はスマホの電子辞書アプリ。

 既存の流通システムを守るため、電子化の流れを妨害しようとした業界の守旧派は、何て愚かだったんだろう。今じゃコミックの半分以上が電子だ。「紙」のみだったら「鬼滅の刃」の超ヒットは無かっただろう。

 半分以下に減った「紙」流通はやがてはamazonその他の通販業者の寡占となり、結果的に業界全体が費消する資源とエネルギーは激減するのだろう。

 インターネットとウィキペディアにより、百科事典をはじめとした、リファレンス系の出版物が世界から消滅した。白書や統計資料の類が電子化され、ネットでの検索も可能になったのはすばらしいこと。

 出版物だけじゃない。音楽や映像もそう。デジタル配信が当然となり、CDもDVDも無くなる。さらに通貨がデジタル化したら「紙幣」「硬貨」が不要になる。それ以前に取引その他で紙が電子に代わる。それを考えれば「判子文化」なんてものが、真っ先に消滅するのは必然なのだ。

マンション、買うか借りるか

 シミュレーションしてみよう。自分自身がマンションを買ったのは26年前で35歳だった。そこで現在35歳のA君、B君の場合。

 A君は月15万、年利0.5%、35年の返済予定で、5800万のマンションを買う。

 B君は月10万の賃貸に住み続け、月5万の年60万を年利3%で複利運用する。

 25年後。60歳のA君は月15万を残り10年払う予定。マンションの評価額は4000万。預貯金はゼロ。

 同じく60歳のB君は月10万を死ぬまで払う予定。この時点での金融資産は? 1年目の60万が24年後に122万。2年目の60万が23年後に118万。以下、順繰り足し算してくと、2129万になる。

 これはB君一択だと思う。外形的にはA君は資産4000万、B君は2129万で倍の差があるが、A君の資産は文字通りの「不動」産。B君の資産は如何様にも流動可能だ。さらにA君の負債は年利を無視したとしても25/35の71%としか返済しておらず、残り29%すなわち1687万円の負債を残している。評価額とガッチャンすれば資産2313万でB君とは僅差だ。

 A君の利点は、自分が住んでいる5800万の持ち家マンションが、B君が住んでいる月10万の都営住宅より、ステイタスが上、ということ。おそらくは圧倒的に。でも、そこにA君はさらに10年住み続けなければならない。対してB君は、現在より安いところ、高いところ、如何様にも住み替えが可能だ。B君がその気になれば、月家賃30万をはたいて、A君以上の住まいで暮らすこともできる。そこで70歳まで10年暮らしたとしても、家賃の差額は20万×120=2400万。その時点での金融資産は3440万。さっぴいても1440万残る。

 重要なのは、単に月15万ずつ返済し続けるだけのA君と、月10万の家賃と5万の投資を行うB君と、どちらがお金についてのリテラシーを涵養できるか、ということ。圧倒的にB君だ。固く3%で稼ぐだけじゃない、武漢肺炎空騒ぎのような下落があれば、そこで大胆に投資するだろう。

 さらには住まいについても。同じ月10万の家賃でも、住める物件は年年歳歳変わっていく。会社の先輩から「海外赴任する2年間、ただでいいから住んでくれないか」てな話があり、「いえ、5万は払います」てなことになるかもしれない。それで年60万の2年で120万浮く。当然、投資する。また、投資で失敗するかもしれない。でも、月2万の「特定物件」に引っ越して3年暮せば288万浮く。どちらもA君には絶対できないこと。

 ちなみに自分自身がマンションを買った26年前の金利は、住宅金融公庫が3%で銀行が4%だった。4%のローンを20年で返済すると、ざっくり倍額になる、と教わっていた。それに比べりゃA君の0.5%はじぇんじぇん条件がいい。

 また、B君が年利3%で運用する金融商品だが、26年前なら5%。リスクをとれば10%も十分ありえた。

 たまたま自分は「A君」だったわけだが、「B君」としての世界線を考えてみるのも興味深い。どんな人生だったのだろうねえ、と。

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今年のこれから

 早いもんで、年が明けたと思ったら、週明け月曜から2月じゃんよ。今日の東京、というか板橋は初雪で、それもけっこうな降り。積もるんだろうなあ。嫌だねえ。

 オリンピックはもうどうでもいいかな。去年は経済(つか株価)への影響が気になって、中止じゃなくて延期で一息ついた、と思ったものだが、今年は仮に中止になっても「やっぱりね」と、影響軽微なんじゃないか、と。やるにしても縮小とか無観客とかで、インバウンド需要はほとんど期待できんでしょ。それもすでに株価的には「織り込み済み」だと思うし。予定通りにやることになったら、逆に皆ビックリで、株が上がるんじゃね? 知らんけど。

 今年もこれからいろいろあるだろうなあ、と思う。緊急事態宣言延長すんのかとか、ワクチンいつ打つのかとか、バイデン爺さん認知大丈夫かとか、支那はマーさん縛ってデジタル人民元やらかすのか、とか。もちろん、夏にスペイン行けるんか、も。

 でもまあ、去年ほどの不確実性はないように思う。すなわち、相場は荒れない。トレーダーならぬ投資家としては、軽挙妄動を慎むこと。去年の失敗は、中途半端なところで利確してしまい、泥…税務署に貢ぐハメになったこと。今年は絶対やらない。いっとき下がろうが、下がるだけ下がって上がりゃ、さらに上に行くだろう、と楽観視しつつ。「勝負は下駄を履いてから」と言うが、それは5年10年先の話ですんで。…って、死んでるかも(笑) だったらばそれもそれでよし。あの世にゃ何も持たずに逝くし。

「対策」を考えてみた

 出生率増やすには「複婚」が手っ取り早いと思うのだが、まあ実現はしないだろう。万一実現したら「絶望した非モテの底辺の若い男性」がISもびっくりのテロやらかすかもしれない。それが怖いからダメ絶対。

 でだ。少子高齢でどんどん貧乏くさくなってく日本に、わざわざ移民したい外国人などおらんだろう。ビジネスをしに来るにしても、各種規制に加えて「日本語」という巨大な非関税障壁がある。日本人と日本人ワナビー以外にとっての「日本語」なぞ、日本以外じゃ何の使い道もない言語。

 せめてその障壁を除こうと、江戸時代の出島みたいな「英語ビジネス特区」を作る。関税ゼロ、その他税金も格安。商談から契約から何から何まで、完全に英語のみでビジネスが行えるようにする。同じく「中国語ビジネス特区」も作る。香港、さらに支那本土からの移民を期待する。…これはちっとは現実化可能性があるか? 無理かねえ。カジノすら実現しないんだから。

 さて、そういうわけで、少子高齢は止められない。経済成長は不可能。日本はどんどん貧乏くさい老人だらけの陰気な国に成り下がっていく。その前提で考えよう。

 東京一極集中がさらに進み、地方は消滅する。いっそのこと地方がノーマンズランドになってしまえば、「自然」が復活する。そこに原発建てるもMD展開するも自由自在だが、ごく少数が住み続けるだろうから無理筋。でも今までのように「東京並み」を要求して多大な金とエネルギーを費消し、自然を破壊し続ける流れは止まる。地方の選挙区はどんどん合併して、東京選出議員だけで、過半数以上を占めるようになれば、地方エゴもそこまで。東京にも余分な金は一切無くなってるし。

 その東京も全体に貧乏くさくなり、年寄りが昼から飲んでる「赤羽」化がそこかしこで進展する。マンションの大多数は建て替え不能でスラムになる。タワマンは巨大な墓標と化す。公的資金が入る「団地」が優良住宅となる。東京らしいビジネス街は都心3区(千代田、中央、港)と、せいぜい新宿のみ。渋谷、池袋、さいたま副都心(笑)等は、往年の歌舞伎町もびっくりの危険地帯と化し、夜な夜なカラーギャングの類が抗争する。楽しそう!(笑)

 全体的なイメージとしては「攻殻」みたいなんかな? 映画版の。でも、草薙素子はいない。むしろ「ブレードランナー」か。地上は下層階級で埋め尽くされ、エスタブリッシュメントは「空飛ぶクルマ」を移動手段とする。

 そんな東京を観てみたい、住んでみたいと思うのだが、自分が生きてるのは、あとせいぜい20年。「そこまで」は行かんかねえ。いや「そこそこ」は期待できるかも。

知ったかエリート、トッドさん

 こと日本に関しては、エマニュエル・トッドは「上から目線の知ったかエリート」。日本をも日本人をも小馬鹿にしてるのは明白。まあ、馬鹿にしたくなる気持ちも分かるけどね。

 トッドが言うところの、日本が移民を受け入れる際の「日本なりの秩序」は、つまり暗黙の「身分制」のことであり、「日本人」の下に「移民」という身分を作らないとうまくいかない。でも、その議論を公にしようとすると、日本が「先進国のふりをした、江戸時代同様の身分制社会」(橘玲)であるという「不都合な事実」を直視することになり、すでにある「身分」…公務員/民間、正社員/派遣社員といった「身分」を解体せざるを得なくなる。それは無理。

 大学までの教育無償化により出生率が上がる、というトッドの主張も眉唾。エビデンスが無い。文科省周辺を喜ばせんがためのリップサービスだろう。

 公明党のサイトによれば、「幼児教育の無償化(19年10月~)」「私立高校の無償化(20年4月~)」「高等教育の無償化(20年4月~)」の「3つの教育無償化」がすでに実現している。公明党様のお陰様で(笑) で、武漢肺炎空騒ぎのせいもあろうが、出生率は下がってる。かんきーにーよー、が現実。

 仮に「大学まで無料」だとしても、行ってもしょうがない奴が相当数いる。現在日本では、義務教育段階で落ちこぼれた層をも、その大半を無理くり高校に行かせて「高卒」としている。それをさらに底上げして、22歳まで「学校」に縛り付けて「大卒」を増やしても、何の意味もなかろう。社会システムにとっては金とエネルギーの浪費。当人にとっては人生における貴重な時間の浪費。喜ぶのは「Fラン大学」と「教育関係産業」のみ。文科省天下り組がその筆頭。心底下らない。