三鷹食堂日記帖

飯食い酒飲み自転車をこぐおやぢの日常。MT車大好き。

例えば「日本仏教史」

 とある新書でざっくりと学ぶ。せめてこのくらいのボリュームでレクチャーされないと、仏教史に限らず、ワケワカメなのだ。学校で習った「歴史」じゃ、固有名詞を暗記するのがせいぜいで、実質は何も学んでいなかったと改めて理解できた。中高生にとっては、単なる苦行で、大学受験が終わればすべて忘れ去って当然だっただろう。

 そうなんだよな。高校までの勉強ってのは、好き嫌い無用で、否応なしに「やらされる」もの。国語や算数は日常の役に立つが、理科や社会は「実用」の遥か以前の基礎の基礎だから、柔道の「受け身」やテニスの「素振り」みたいなもん。やらなきゃ先に進めないのだが、それ自体は楽しくも何ともない。英語もそう。国語も古文漢文になると日常から乖離するし、算数が数学になっても同じ。加減乗除は家計簿つけるのに必要だから「実用」と分かるが、三角関数微積分が「実用」になるのは、ずーっと「上」のレベルで、大多数の人間はそこまでは行かない。

 で、そういう、近視眼的には無用の知識を、いかに効率よく頭に入れていくかが、秀才の条件であり、秀才がエリートとして出世するのが、現在日本がそうであるところの「知識社会」。以上、まとめました(笑)

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