三鷹食堂日記帖

飯食い酒飲み自転車をこぐおやぢの日常。MT車大好き。

数学と大学受験と

 数学と言えば思い出すのが、高校時代の生物部部長で、東大理1に現役合格したYだ。こいつはホント数学も物理も秀才だった。将棋も麻雀もメチャ強かった。こういう出来杉君がすぐそばにいたのに、どうして自分は「のび太」だったんだろう? いや違う。「絶対勝てない奴がいる」と分かったから、正攻法は捨て、邪道で裏道から「大学受験」を攻略しようと思うに至ったんだ。

 微分積分を再勉強して改めて気づいたのは、高校生の自分がやってたのは公式を丸覚えして機械的に解くという、それだけのこと。微分の「エックス3乗→3エックス2乗」的に。だから練習問題はスイスイ解けたが、応用問題になると丸出だめ夫。当然だろう。基礎である「仕組み」をちゃんと理解せずに、マックジョブ的作業を繰り返してただけなんだから。三角関数もそうだった。そもそも何でこんなもんが必要なのか理解していない。単に公式を丸覚えするだけ。

 そんなんじゃ出来たことにはなんないんだ、と思い知らされたのは、隣りにYがいたから。あいつは当然ながら完全に理解してた。通信教育z会の超絶ワケワカメの応用問題もスイスイ解いて、月報の得点番付に毎回ペンネーム(当時仲間内で流行ってた少女まんがのキャラ名だった)が掲載されてた。

 自分にゃ無理、と思い知ったので、戦線を高校1年生レベルの数1まで後退させた。で、それで攻略可能な「早稲田一文」をピンポで攻略した。現在はどうか知らんが、当時の「一文」の合格判定をゲットするには、けっこうな偏差値が必要で、自分は確実にそれ以下だった。英国社の3教科受験で、それぞれ65くらいだったっけ。自分は国語は勉強せずとも何とかなったが、英語は必死こいてギリギリだった。社会は歴史も地理も興味が持てずに、ろくに勉強していなかった。「室町時代って鎌倉時代の後だっけ? 戦国時代は? 源氏と平家が戦ってたよな」とまあ、そんなレベル。

 でも「一文」はなぜか知らんが、数1で社会を代替可能だった。赤本を見る限り、ごく基本的な問題ばかりで、ほぼ確実に満点を取れると分かった。「これならいける」と判断した。満点なら偏差値70以上。だったらそれで英語のハンデを補えるだろう、と。

 無謀だったのは「滑り止め」皆無だったこと。私立文系で社会の代わりに数Ⅰで受けられるなんてのは、同じ早稲田の政経しかなかった。その政経も試しに受けてみたが落ちた。一文ほど易しい問題じゃなかったから当然だろう。で、2個しか受けなかった1個に受かって、まんまと大学受験を突破した。

 なんで第一志望が文学部? と100人中99人に怪しまれたが、アレですよ。五木寛之とか、寺山修司とかにハマってたのですよ。田舎の高校生にありがちなこと。要は「キュゥベイに騙されてた」状態だったわけ。