日本の英語教育が現在の(ダメダメな)形になった大きなキッカケの一つが、明治36年(1903年)に東大の英文科講師がラフカディオ・ハーンから夏目漱石に交代した一件だったのではないかと思う。これで「外国語はネイティブに学ぶ」という、外国語学習の大原則が崩れたという点において。
もちろん、漱石先生が悪いわけじゃない。悪いのはむしろ、それを先例として「自分がろくに話せもしない外国語を生徒に教えることを恥としない教師」が、大量生産されるに至ったことだ。
自分自身が授業を受けてきた、中学高校時代の英語教師で、英語をまともに話せる教師は皆無だった。英語圏への留学どころか、旅行すらしたことが無かったのではなかろうか。ネイティブ不在の環境で、日本人から日本人へと学び伝えられていった英語を、自分は学ばされたわけだ。支那語に例えれば分かりやすい。生きた支那語じゃなく「漢文読解」。それと同様に生きた英語とは無縁の「英文読解」を中学高校の6年間、ひたすら仕込まれていた。
大学でもさほど変わらなかった。やうやつと巡り会えたネイティブ教師のフレンドはエゲレス人で授業は英詩講読。エゲレス訛りはけっこう耳に心地よかったが、ワーズワースもコールリッジも「実用」とはほど遠かった。名前は忘れたが、アメリカ人のおばちゃん教師がマシだった。教材はアメリカの低レベル中学の教科書で、フルカラーでビジュアル豊富だった。そんなんから「英語修業」をやり直したのだ。