三鷹食堂日記帖

飯食い酒飲み自転車をこぐおやぢの日常。MT車大好き。

「旧日本兵」

80歳を過ぎた老人が「故国に帰りたい」という気持ちになるのは分かるし、できるだけの支援はしてあげたいと思う。でも「旧日本兵」というラベルを貼り付け、厚生労働省の仕切りでどうこうというのには、なんとも違和感を覚える。「横井さん」も「小野田少尉」もリアルタイムで見てきた世代であればこそなのだが。
現地の共産ゲリラと生活をともにしてきた、ということらしいのだが、現地の日本軍部隊が崩壊した後、兵士としての腕を買われて仲間になった、ということではないか。そして半世紀以上ゲリラとともに戦い、現在は「ご隠居」段階にあるのだろう。その全体が彼の人生なのであり、たまたま出自が「旧日本兵」であるというに過ぎない。「何も知らない女子中学生が工作員に拉致された」てな例とはまるっきり違う
たとえばインドネシアでは「旧日本兵」2千人ほどが戦後の対オランダ独立運動に身を投じ、その多くは戦死した。「ビルマの竪琴」はフィクションだが、さまざまな事情により、あえて日本に帰らず、現地に骨を埋めた「旧日本兵」が相当数いただろうことは想像に難くない。
彼らの全てが自由意志によって現地残留を決めたとは思えない。しかし、今回の例に即せば、敗戦後の半世紀に「帰国」を選択するチャンスはいくらでもあったはずだ。でも選択しなかった。あるいは出来なかった。その理由は分からない。少なくとも今現在は。
マスコミは常に「分かりやすさ」に傾く。「軍国主義により、無理やり戦争に狩り出され、遠い外国に連れて行かれた若者が、無謀な作戦の結果、悲惨な戦闘を強いられ、軍隊からの離脱を余儀なくされ、ゲリラに助けられ、その後の人生をそこで過ごすことになった」てな論調かな。すなわち「日本の侵略戦争の犠牲者」であり「一刻も早い救済を」であり、さらには「謝罪と賠償を」と。
そんな風には「分からない」というのが、今現在の自分の正直な気持ち。