三鷹食堂日記帖

飯食い酒飲み自転車をこぐおやぢの日常。MT車大好き。

ストップ!高齢者権力

 わたしはぶっちゃけ左翼・進歩派大嫌いの、保守反動のゴリゴリで「法と秩序」の信奉者であるのだが、今回の武漢肺炎空騒ぎを通じて、宗旨を多少改めるに至った。

 このままじゃ高齢者によって日本が殺されてしまう。正確に言えば、日々テレビに「武漢肺炎の恐怖」を脅され続けて、怯えきった高齢者が求める『安心』のために、日本経済が殺される。

 新型インフル特措法の「武漢肺炎版」改正で「営業時短要請」→「拒否の場合の命令」→「命令違反の場合の過料」と新たに強い権限が政府に許されたわけだが、それで何をやったかと言えば「禁酒法」による飲食店イジメと居酒屋潰しだけ。ちなみに東京においては感染拡大防止効果ゼロ。唯一の貢献は、高齢者の「安心」。ウイルスは目に見えないが、飲食店は目に見える。それが閉店したり潰れたりすれば「政府はしっかり対策してる」とのアナウンス効果絶大だ。

 同じく改正で「医療機関・検査機関に対する協力勧告・公表」というごくごく緩い項目も追加されていたのだが、「医療崩壊」が言われ始めたここしばらくより以前には、何もやってないに等しい。政権与党の重要な支持母体である日本医師会への忖度のため。

 要するに、政府がやったのは無意味な弱いものイジメだけで、改正特措法がその「武器」になった。

 今ここで「ロックダウン」を可能にする法律ができたなら、同じことを繰り返すだろう。それも数倍数十倍の「強度」で。もちろん高齢者の「安心」のために。

 具体的には、経済活動への破壊行為。経済を止めることにより、現役世代や若い人々に致命的な打撃を与える。でも、年金生活の高齢者の収入は1円も減らない。

 ピンポでは「ワクチン未接種国民限定の外出制限」もあり得る。イメージ的に「夜遊びして公園や路上で酒を飲んで騒ぐ無軌道な若者」を取締対象とする。これも、高齢者の喝采が大いに期待できそうだ。

 今さら言うまでもなく、現在日本を支配しているのは高齢者。政府は高齢者には絶対に逆らえない。ならば政府=高齢者に今以上の「権力」を与えたら、現役世代や若者は今以上に搾取され、弾圧されることになる。

 今、主張すべきは一つ。「ストップ!高齢者権力」 

武漢肺炎との共存、共生

 武漢肺炎の本質がそうであるところの「『風邪』の封じ込めは無理」が、そもそもの「感染症専門家」の結論だったのではないかと推察する。あるいは「日本国民全員が10分間呼吸を止めたら、武漢肺炎は完全に封じ込めます」と。これはもう確実に言えること。

 呼吸を止めるのは無理筋だし、経済を止めるロックダウンも無理筋。高齢者限定の「シルバー・ロックダウン」なんざ口にした瞬間、内閣が吹っ飛ぶから絶対に無理。で、どうすんの?というところで、「密集・密接近・密閉」の「集近閉」の「三密」を避けること、「社会的距離」を保つこと、他人同士が混在する屋内じゃマスクをつけること、などが提案された。

 提案は拡大解釈され、暴走し、稀代の悪法である「禁酒法」にまで至った。だが、感染拡大はとまらない。ワクチン接種が進んでいるにもかかわらず、デルタ株なる新顔のせいで拡大中。ちなみに「禁酒法」はまったく無意味だった。飲食店イジメをしただけ。

 さて、そろそろ覚悟を決めようじゃないか、日本人諸君。我々は否が応でも武漢肺炎と共存していくしか無い。武漢肺炎ウィルスは「今ここ」に偏在している。誰もが感染の可能性がある。だとしたならば、対策は?

1.ワクチンを接種する。
 それが1番。まず最初にやるべきこと。

2.感染し発症したら、人にうつさないよう自己隔離する。
 それが社会人としての常識。

3.適切な治療を受け、回復をはかる。
 その対応を全医療機関に求めたい。制度的バリア(感染症分類など)があれば即刻撤廃する。

 要するにインフルエンザと同じこと。それで武漢肺炎は克服できる。できないとしたら、以上1から3に齟齬が生じているから。可能性を列挙するなら、

1.ワクチン接種を拒否する。
 それもアリ。感染については自己責任で。

2.感染し発症してもふだん通りに行動する。
 これはダメ。そのようなフリーダムな方々から社会を防御するために適切な「ゲート」を設ける。公共施設入り口での発熱チェックや、交通機関や飲食店でのワクチン接種の有無確認。

3.医療機関武漢肺炎患者を受け入れない。
 論外。

 以上、ごくごく軽い「コントロール」で武漢肺炎との共存は可能。ロックダウンなど必要ない。

炎上マーケティング

 現在進行中?の「ホームレス差別」炎上事件って一体何なんだ? 要はアクセス稼ぎのためのネタであり、批判する連中はそれにまんまと乗せられてるんじゃないか?

 ネットやマスコミ上でどんだけ叩かれようと、刑事罰を受けるわけじゃないし、損害賠償請求も発生しない。「糾弾」や街宣右翼のカチコミやを受ける心配もない。徹底的に「安全」でいられる。批判役の「弟」も何とも胡散臭い。こんなのに乗せられて何か言わされてる連中が馬鹿に見えるのはおいらだけ? ああ、おいらもそうか(笑)

 橘玲の言うところの「評判経済」の適応戦略の一つなのかも。ネットでのクリック数が即「売上」になるのなら「悪評もまた評判」であり「無名」よりずっとマシ。経済的に有用なわけだ。そして良き「評判」が地道な努力の積み上げなしでは得られないものであるとして、「悪評」は一発でゲットできる。コスパの良さは比較にならない。

 ヒントはちょっと前の五輪絡みのクリエイター叩きだろうと推察する。あの事件で初めて彼の名前を知った人間もいる。たとえばおいら。「有名」の次元がポンと上がったわけだ。で、彼は「キャンセル」されて多大なダメージを受ける立場にいたから損失の方が多かったが、自分の立場なら利益の方が大きくね? とかさ。

安全と安心

 似てるようでいて全然違うこと。「安全」には「安全基準」があり、客観的に認定される。身の回りの、ほとんどあらゆるものに「安全基準」がある。こどものおもちゃに使われる材料・塗料の品質とか、クルマのボディの対衝突強度とか、加工食品への添加物とか。

 対して「安心」に基準はない。「安心」の反対語は「不安」だが、人間はさまざまな情況で「不安」になる。明確な理由がなくとも「不安」にかられるし、原因すら不明の「漠然とした不安」もある。

 今でも思い出すのは、2016年から17年にかけての豊洲市場開場延期問題だ。小池百合子都知事の「安全だけど安心ではない」(だから豊洲への移転は延期する)は歴史に残る名セリフだと思う。迷セリフか。まあ、どっちでもいいが。ここで重要なのは、客観的な「安全」ではなく、主観的な「安心」を優先させたこと。「専門家が安全と言っても、わしらは不安なんじゃ」という人たちの心をつかみ、選挙での得票に繋げたということだ。

「不安」な人々。「安心」を求める人々は、しばしば「安全」を脅かす。それは、今回の武漢肺炎空騒ぎの、そこかしこでも見られたこと。

「ゼロコロナでわしらを安心させてくれ。そのためにはとことん厳しい規制を打ち出してくれ。マンボウじゃ不十分。緊急事態宣言でもダメならロックダウンを。そのために経済が停滞しようが、飲食店を筆頭に企業がバタバタと倒産しようが、若者が困窮しようが関係ない。わしらの安心が最優先じゃ」

 その多くは高齢者だろう。テレビしか情報収集手段がない情報弱者で、そのテレビが視聴率稼ぎのため、日々煽り立てる「コロナの恐怖」に心底怯えきっている。現役世代に先立ってワクチンの優先接種を受けて「安心」のはずが、デルタ株には感染するかも。息ができないほど苦しくなっても「重症」と判断されなきゃ入院もままならないかも。そしてそのまま症状が急変して死ぬかも。まさに恐怖のどん底だ。

 若者や現役世代なら収入源や失業が人生の「安全」を大きく毀損すると分かっているから、経済を止められるわけにはいかない。対して高齢者の収入は老齢年金で、ロックダウンだろうが何だろうが1円も減ることはない。自分の経済的「安全」はしっかり確保した上で、「安心」をも要求しているわけだ。

 高齢者の「安心」のために、若者や現役世代の「安全」が脅かされている。これが現在日本の「今ここ」で起きていること。高齢者と「それ以外」が分断されている。そして政治は、今や全人口の3割近くを占め、投票率も高い高齢者の望む方向にしか動かせない。

「戦争は、もうとっくの昔に始まっているんだ」と後藤隊長なら言うだろう。世代間の闘争。もちろん、圧倒的に有利なのは高齢者。現役世代が払い込む年金がすなわち、彼らが受け取る老齢年金だ。完璧な搾取の構図。経済的に搾取した上で、さらに「安心」をも求めて現役世代を追い込んでいく。「戦争」というよりも一方的な虐殺に近い。

フォロワーシップが必要

 リーダーシップという言葉は誰もが知ってるだろうが、フォロワーシップはどうだろう? 簡単に言えば「自分がリーダーと認めた人間に積極的に従い、支えること」だ。リーダーシップとフォロワーシップが両輪として機能してこそ、「目的」を実現できる。

 だが、現在日本においては、パンピーが政治家にリーダーシップを求めることはあっても、自らがフォロワーシップを果たそうとしているだろうか? とりあえずやらせてみて、成功すれば結果オーライ、失敗したら叩きまくる、が通例となっちゃいないか?

 これはしかし日本人の特質なのかもしれない。日本人はいつどこにおいても「責任者は誰ですか?」と尋ねるらしい。日本国内はもちろん外国でも。極端な話「紛争地域」においても。自分の「安全」「権利」その他についての「責任を負ってくれる人」が自分自身以外にいて当然だと思ってるわけだ。

  それが分かっているから、リーダーはリーダーシップを発揮するのを控える。常にパンピーの意向を確認し、それに従って行動する。だったら、成功すれば万々歳。失敗しても責任を負わずに済む。自分の失敗じゃなく「皆の失敗」に拡散できるから。

 パンピーがリーダーを選ぶに当たって、自分自身のフォロワーシップの可能性を考慮せよ、というのは現在日本においては無理筋だろう。でも、少なくともリーダーがリーダーシップを発揮するにおいて、フォロワーシップが必要不可欠である、という事実は自覚してほしい。リーダーもまた「日本人」なのだから。

「自粛要請」には従わない

 そういう人間が増加している理由の一つは「飲食店イジメ」じゃないかと思う。

 最初の「営業時短要請」を受け入れた飲食店は、期間を勝手に延長され、さらに「酒類終日提供禁止」までやられた。「飲食店イジメ」「居酒屋潰し」が「感染防止対策の目に見える効果」となった。まさに「イジメ」の構図そのもの。無抵抗な奴を集中的に狙って徹底的にやる。自殺にまで追い込む。

 対照的なのは「医師・看護師以外による予防接種」に頑強に抵抗した医師会。結果、「歯科医」までにとどめることに成功した。「民間病院のコロナ病床増床」も拒否し続けているし、政府も、より強いアクションはとれずにいる。

 一般国民がどちらを見習うべきかと言えば、問答無用で「後者」でしょう。

 政府が「お盆の帰省自粛」を要請している。「そうだよな、感染拡大防止のために協力しなきゃな」と帰省客が目に見えて減ったとする。「こらいける」と政府は考え、次は「自宅◯キロ圏外への移動自粛」。それにも従ったら、次は「外出自粛」。実質的な「ロックダウン」だ。とことんやられると思った方がいい。

 だから「逆」をやるのが正解。「帰省自粛」と言われたら逆に帰省する。用が無くてもあえて田舎に帰る。田舎の連中に嫌がられようがおかまいなし。そうやって帰省客が倍増し、政府に「反発を買った。逆効果だった」と判断させれば、「次」はやれなくなる。強権発動? できっこナイナイ。対抗するために、左翼みたいにデモ組織する必要すらない。SNSで叩かれるだけで、選挙怖さに尻尾を丸める。

 その選挙が果たしてどうなることやら。正直なところ、楽しみでしょうがない。

で「次」だ

 秋の総選挙が「峠」だろう。自公の惨敗は見えた。ただし共産と組むしかない立民は受け皿以前の割れ皿。「悪夢の09年」の再現はなかろう。

 そこで百合子だ。五輪後の都知事放り出しは確定。二階の「自民復党誘い」を盛大に蹴り飛ばして、都民ファベースのポピュリズム新党結成。お得意の「小池劇場」開幕で、「無能与党」と「無責任野党」を徹底的に糾弾して、無党派層の票をゲット。首都圏でそこそこの議席を確保する。選挙後に自公と連立政権を作り、首班指名を受けて日本初の「女性首相」に就任する。百合子積年の野望達成完了。

 自公政権としては、それが「最悪よりマシ」のシナリオ。そもそも百合子以上の、首相としての「顔」の持ち合わせが無いんだから。菅さんはがんばってたと思うから、言いたかないが「顔」としてはイマイチ以下だった。