三鷹食堂日記帖

飯食い酒飲み自転車をこぐおやぢの日常。MT車大好き。

人間の中核

 しっかし、思うに自分自身のコアすなわち中核は、中学高校生時代までに出来上がっていて、それから60歳の現在に至るまで、ほとんど変わっちゃいない。成年後に学んだこと、社会人としての経験など、ほんの上っ面でしかない。教育というか、少年時の環境というのは怖ろしいものであると分かる。

 橘玲もそんなことを書いていなかったか。人間の才能や特性は、遺伝と少年時の人間関係で決定される、とか何とか。だからユダヤ人のガキは秀才に育ち、黒人のガキはヒャッハァに育つ、と。

 自分の環境は、すなわち「60年代から70年代の新潟の田舎」だ。そこで刷り込まれたあれこれが、自分自身を決定している。

 自分自身、東京に出たのが正解だった、と思い、思い続けてきて、今現在もそう思っているのだが、その「東京に出る」というのも、少年期の環境によって、プログラムされていたのだろう。単純な例として、もしも大阪に生まれてたらそうは思わなかった可能性大。東京に生まれてたら当然のこと(笑) だったら、どこへ行きたいと思ったのだろう? それとも生まれた土地に死ぬまで居続けたいと思ったのか?