三鷹食堂日記帖

飯食い酒飲み自転車をこぐおやぢの日常。MT車大好き。

続き

 これが、仮にパンだったとしたら、一人の人間が食えるパンの量には限りがあるし、それ以上のパンを買わせることは不可能だ。だがしかし、本だったなら、一人の人間が読める本の量に限りが合っても、それ以上の本を買わせることは可能だ。例えば「百科事典」、例えば「文学全集」。ページ数にして軽く「万」を超えるし、価格もそれに比例して高い。

「読書人」であったらば、リファレンスを蔵書でまかなうのは難しいと分かってる。だから図書館その他の利用法を知っている。また、本を買う場合は「最後までちゃんと読めるだろう」との予想と期待があってのこと。自分が「読めない本」は基本的に買わない。

 だが、それ以外の人間には、そもそも「読める本」と「読めない本」の区別をつけることができない。また、読めない本であっても、多額の金を払って購入し、所有することにより、知的虚栄心を満足させるという「効能」もある。そこを狙った商売とも言えよう。

 このアイディアが大当たりだったのは、しかし、50年も昔の話。当時はビルが建つほど儲かったらしいが、次第に先細りとなった。自分が関わった10年ほどは「最末期」と言えるかもしれない。

 決定的に行き詰まったのは、端的にインターネットの登場による。事典辞書の類はWikipediaその他で用が足りる。本もネットで検索して、レビューを参考にして、読みたいと思ったものだけをamazonで買えばいい。新刊だけじゃなく、古書も買える。電子書籍もある。古典文学なら「青空文庫」その他で無料で読める、と。