三鷹食堂日記帖

飯食い酒飲み自転車をこぐおやぢの日常。MT車大好き。

金の遣い方

「成金の田舎者に金の遣い方を教える商売」は絶対にある。例えば「Pen」のような雑誌。高級腕時計を買いなさい、ハイファションを身に付けなさい。アート方面の造詣を深めなさい。

 さらに言えば、いくらお金があったとしても「銀座でベコ飼う」のはおやめなさい。道端で金をばらまいても、乞食が集まってくるだけ。慈善に遣いなさい。ショーファー付きの高級車でオペラ座の「チャリティ公演」に出かけなさい。

 そうだよな。そもそも金の遣い方を知らなかったら「回転寿司で一番高い皿だけ食う」とか「安ステーキ屋で一番でかい肉を食う」とか、そのくらいのことしかできない。…それはそれで楽しそうだが。「食」ならそんなレベルの恥ですむが、「衣」だと、上から下まで、下着まで、高級ブランドでてんこ盛りの「チンドン屋」だ。「住」はもっとひどい。田舎のパチンコ成金屋敷だ。天守閣付きのお城を建てたりして。

 もしも自分がとてつもない金持ちになったとしたら、何をするだろう? 「宝くじで1億当たる」の1万倍くらいの。…国際救助隊だ。それが一択。でなけりゃ財団。国連の無能官僚には絶対できない効率で「公益」を実現する。自分のためには遣わん。つか、遣ったら死ぬ。特に「食」。

 ケチな金持ちが群れなす貧乏人に滅ぼされる話ってのは、筒井康隆が書いていた。ひとたび「乱世」となれば、セコムで固めた屋敷に籠もろうが、私兵を養おうが、まず確実に滅ぼされる。「打ち壊し」である。それを防止するためには、私財を広く再配分して、人望を涵養しておかねばなるまい。実際、古今東西の貴族豪族は、みんなそうしてきたんだろうな。だったら、現在日本も変わるまい。格差が拡大すればするだけ、「上」に課せられた社会的使命は増大する。

 ちゃんとした金持ち1割と、そこそこの貧乏人9割で構成された国は、「完全平等国家」の十倍住みやすかろうし、文化も充実・発展するだろう。アリストクラシーが、自分の思う理想社会である。で、自分は貴族なんざまっぴら御免。小金を貯め込んだ貧乏人の爺として安穏と余生を過ごす。