三鷹食堂日記帖

飯食い酒飲み自転車をこぐおやぢの日常。MT車大好き。

「海辺のカフカ」追記

この作品中には小動物に対するR15レベルの残虐シーンがあるのだが、シーンそのものの酷さに加えて作者の計算が見え過ぎて嫌。何年か前に某まんが家と話していた時の「おたくの内臓趣味」を思い出した。どういうことかと言えば、おたくはメカと美少女が好きだから、美少女ガンマンとか、美少女が操縦するモビルスーツとか、美少女のみで編成されたWW2ドイツ戦車部隊とかを描きたがる。発想時点からして、リアリティーもへったくれも無い。そこで彼らなりにリアリティーを追求せざるを得ないだが、それがなぜか決まって「美少女惨殺シーン」なのだ。手足がちぎれ、内臓をぶちまける類の。その異常性を嫌悪し「そんなもの描かなくてもリアリティーは演出できるだろう」というのが、世間一般の健全な感想だと思う。「カフカ」においても同様に感じた。
「銃剣による刺殺」も同様。作者の意図は「現世の悪」の象徴であろうし、小動物虐殺にびびる読者にとっちゃダメ押しだろう。だが、自分がちょっと前に読んだ「戦争における『人殺し』の心理学」という本によれば、銃剣戦闘の訓練を受けた兵士においても、実際の白兵戦では敵兵を刺殺できない兵が圧倒的多数で、銃剣を突きつけ降伏を求めて大声で恫喝したり、銃床で殴りつけるのがせいぜいだったそうだ。自分にとっては、こっちのほうが数段リアリティーがあった。作家自身の体験に基づくものなら別だが、作家自身も読者も共通に「自分にはできないだろう」と認定する残虐行為を「戦争だからできた。それができるのが戦争の悪だ」とするのは、「作家」としては安直すぎやしないか?
もちろん、すべて確信犯(誤用)なのかもしれないが。