三鷹食堂日記帖

飯食い酒飲み自転車をこぐおやぢの日常。MT車大好き。

内田樹・他「9条どうでしょう」

著者の一人である小田嶋隆のサイトで発刊を知り、買ってきた。珍説奇説を期待してのことだったが、週刊文春や新潮が盆暮れの合併号の企画ものとしてよくやる「異論極論」程度だった。
内田樹町山智浩小田嶋隆平川克美の順に並んでいる。
最初の内田だが、戦争を禁じた憲法9条を改正するのは「戦争してもよい条件」を定めよということであるから、殺人を罰する刑法199条に「殺人してもよい条件」を付記せよというのに似ている、と論じる。アホらしい。こども騙しのレトリックである。
いや、イマドキのナイーブな大学生も騙されるか。高校の倫理の授業でキチンと教えてやったほうが良いのかもしれない。国家同士の「戦争」と法治国家内の「殺人」の違いについて。
「哲学者」がその気になれば、レトリックを駆使することにより、一般社会の現実や常識とはまったく相容れない「嘘」へと人々をミスリードすることも不可能ではない。その実例として、批判的に読み解くには、手頃なテキストかもしれない。
次の町山は、ミリタリーおたく出身だということは分かったが、論は粗雑過ぎてどこから突っ込めばいいか分からない。
帰化」がこだわりタームなようなので、一点だけ指摘しておく。ある国に帰化するためには「国柄」の尊重が絶対条件だ。アメリカなら星条旗に象徴される建国の理念。日本なら過去何千年かを通じて蓄積され形成された歴史と伝統だ。町田が批判する、いわゆる「単一民族」発言は、ナチス的な理念によるものでも、外国人排斥運動のスローガンでもない。日本の「国柄」から必然的に発生する「実感」であり、あえて言えば「田舎モンの偏屈さ」だ。「アメリカ(=都会)では、こうなのに」と、批判すればするほど逆効果だと思う。

9条どうでしょう

9条どうでしょう