三鷹食堂日記帖

飯食い酒飲み自転車をこぐおやぢの日常。MT車大好き。

テレビ嫌い

レンタルDVDの破損率の高さ→ケーブルの有料チャンネルで映画を観ようか→時間束縛されないよう録画したい、てな流れでDVDレコーダーが欲しくなり、Kムラヤでパンフ貰ったり、ネットで値段調べたり。
5万円前後だな。でもやめた。そもそもテレビ観ないし。まして録画などしたら、それだけで安心して、永遠に観ないだろうと確信するし。
テレビに限らず、映画や演劇やライブコンサートも含めた全体が該当するのだが、送り手が決めた時間だけ受け手を束縛するメディアは基本的に嫌。本やネットは自分の興味の度合いに応じて、鑑賞時間を変えられる。つまんない本は数分でナナメ読みして捨てられるが、つまんない映画がつまんないという事実を「正しく確認」する(←ここが重要)には、最低でも映画の上映時間つきあわなければならない。あほくさい。ましてテレビドラマをや(笑) 限りある人生の一部を、1時間から2時間提供する以上、絶対に面白くなくちゃ嫌。この時点でテレビの99%が失格。映画は、そうだなあ、最近の邦画に限定すれば、3割はあるんじゃないか。で、3割あると思えば7割のスカを掴まされるリスクを負担してもいい。1%じゃジャンル自体捨て去って当然。
活字というのは、すばらしい発明だったとあらためて思う。ニュースにしても、テレビを通じてなら、馬鹿も悧巧も同じニュースを同じ時間をかけて知ることになるが、新聞やネットなら、悧巧は馬鹿の数倍の速さで情報を摂取できる。
ネットは活字の一種でありながら、テレビ以上の速報性を持っている。新聞は滅びる。ちうかネット化する。テレビはますます愚民御用達となる。ネットニュースを1秒見ただけですべてを理解する悧巧と、テレビの報道バラエティーでキャスターの兄ちゃんねいちゃんに1時間かけて懇切丁寧に説明されて分かった気になる馬鹿との間には、光年レベルの距離が生じる。分かりやすく「株取引」で言えば、情報の速さにおいて、馬鹿は悧巧に絶対勝てない。フルタイム美味しく食われるカモであり、永遠の負け組だ。
その活字は、昔は職人さんが拾って組版したものを紙に刷って配布してナンボだったのだが、現在はこうやってキーボードを叩くだけで簡便に大量生産され、ネットに流すだけで「世界」に届く。もちろん可能性としては、だが。