三鷹食堂日記帖

飯食い酒飲み自転車をこぐおやぢの日常。MT車大好き。

小説&映画「櫛の火」(ネタバレ含有)

原作小説は古井由吉で1974年初版刊行。昨年6月に八重洲地下街古書店で見つけて買ったものを、ようやっと読んだ。
ざっとストーリーを紹介すれば、主人公の大学生・広部は、昔の恋人・弥須子と再会し、寝る。かつて弥須子は、先鋭的な学生運動に身を投じて、広部と別れ、「同志」たちと同棲していた。やがて「政治の季節」が終わり、弥須子も日常へと回帰した。広部と寝た翌日、弥須子は急病で入院し、頓死する。広部はショックでひきこもり状態となる。やがて回復した広部は大学を中退して就職するが、弥須子との思い出に捕らわれて、女性との関係を持てないでいる。広部は5歳年上の柾子と出会う。最初は気のおけない飲み友達として、広部は柾子に癒しを得るが、やがて肉体関係を持った後で、柾子が人妻であることを知る。柾子と夫の矢沢は、離婚を前提にしながら、同居を続けている。そんな複雑な立場の柾子に、広部はよりいっそう惹かれ、矢沢から奪い取りたく思うが、柾子も矢沢もそれぞれに「狂気」に捕らわれていた…。
最初の弥須子の死のくだりは、ここんところ読みつけているおなじみの古井節だが、年上の人妻・柾子とのドロドロの愛欲三昧は非古井的。いや、かつての古井の作風のメインだったが、年をとるに従って削り落ちた部分なのだろう。で、後半、柾子の狂気が際立ってくると再び古井的になる。あくまで自分個人の印象批評でしかないが。
1975年に神代辰巳監督で映画化されたのを、数年後に名画座で観た。自分が高校生の頃だ。広部(デビュー1年目の草刈正雄)と柾子(現・田淵幸一夫人のジャネット八田)の濃厚なベッドシーンに童貞チンコを固くした記憶以外、ストーリーはほとんど覚えていない。ちなみに弥須子を演じたのは桃井かおり
goo映画で確認したら、原作では松岡の語りで間接的にしか伝えられない、柾子の夫・矢沢(河原崎長一郎)と不倫相手のあけみ(高橋洋子)とのやりとりが具体的に入っている。矢沢のあけみ殺しは「現実」であるかのようになっている。全共闘崩れの女殺し。同じ神代監督の「青春の蹉跌」(えんやーとっと(笑))と重なるモチーフ。
原作ではハッキリは書いていないが、あけみ殺しは柾子の妄想。この1点に限っては、明らかに原作のほうが上。女を殺すなんて逆立ちしても出来ず、ひたすらに内向的な矢沢であるからこそ、矢沢自身の狂気もより深くなるし、その夫に対して「殺される」とまで恐怖する柾子の狂気も、より不気味なものとなる。