三鷹食堂日記帖

飯食い酒飲み自転車をこぐおやぢの日常。MT車大好き。

ハチャメチャ葛西善蔵

ふと立ち寄った古書店古井由吉のハードカバー4冊を700円均一で売っていた。まとめて購入。その一冊「東京物語考」岩波書店、を読んでいる。徳田秋声正宗白鳥葛西善蔵など明治大正から昭和初期に活躍した作家の作品を通じて、そこに垣間見える「東京」を語るという趣向。主に自然主義作家の私小説が取り上げられているのだが、その生活ぶりがとにっかくメチャクチャで圧倒される。往年の東京を懐かしもうというレトロ趣味志向(それがこの本の本来の企画意図だったのではないかと推察されるが)など、光年の彼方まですっとんでしまう。特に葛西善蔵が凄まじい。最晩年の「酔狂者の独白」は、以下のような状態で書かれた。
「作品は昭和2年の1月に発表されているが、口述であったという。肺病がすでにかなり進行していたらしい。それに持病の左背部の激痛に苦しめられ、日に一升の大酒で病苦をしのいでいるものの、アルコール中毒らしき神経症状の見えはじめたけはいを、作者は恐れている。夜に発作的に狂い出して、同棲の女たちの手で蒲団巻きにされる。明け方近くに目をさまして、女の背負帯や自分のヘコ帯などでぐるぐる巻きにされている自身を見い出すことが、毎日のようにとか、三日もあけずにとか、書かれている。ちなみに家の間取りは二畳に四畳半に六畳、埋立地の細民窟の中の長屋とある」
そこまでの生涯も半端じゃない。家賃を滞納する。金策に妻を郷里にやるが、帰ってこない。借家から追い出される。こども二人を連れて夜の街をさまよい、酒場に入って酒を飲む。友人たちからはさんざん金を借り倒し、とうに絶縁されている。友人の留守中に彼の下宿に上がりこもうとするが、下宿屋の主人に断られる。こどもが泣き出す。しかたなくまた深夜の電車に乗る。こどもは寝てしまう。
本業であるはずの小説を書くにしても、地方の友人を訪ね、金も無いのに旅館に泊まり、芸者をあげて連日連夜大騒ぎする。勘定は友人に回す。原稿を書き始めるが、途中で詰まって破き、また酒を飲む。あきれた友人に見捨てられると、友人の兄に金の無心をし、別の旅館に移ってまた酒を飲む。
そんな生活の間、こどもは鎌倉の寺に預けて、近所の仕出屋の娘に世話をさせている。こどもを呼び寄せると仕出屋の娘も借金を取り立てについてくる。こどもと娘も加えて放浪する。やがてその娘と同棲するようになり、赤ん坊が生まれるが、小説では流産したの、死産だったのと書き散らす。
郷里に預けっぱなしの妻子から経済的な窮状を訴える手紙が来ると、その手紙を同棲相手につきつけて「読んでみろ。悪党!」と罵り、暴力を振るう。
古井は、このような小説を一般の生活者に読ませたら「まず心を痛め、やがて眉をひそめ、あげくはあまりのことに笑い出すのではないか」と書く。まったく、ここまでハチャメチャなら笑うしかなかろう。葛西に限らず、戦前の自然主義系の作家はほとんど未読なのだが、古井の文章に誘われて、ちょと捜してみようかという気持ちになった。