三鷹食堂日記帖

飯食い酒飲み自転車をこぐおやぢの日常。MT車大好き。

「珈琲時光」

珈琲

嫁さんとン年ぶりの映画デート。新宿テアトルタイムズスクエア侯孝賢珈琲時光」の初日初回を観よう、と。
新宿到着が9時半過ぎ。さわやかな秋晴。スタバで珈琲。10時過ぎに劇場前まで行ってみると、すでに人がたむろしている。チケット1800円×2を買って入場予約番号をもらう。45番と46番。12階のフリースペースで時間を潰し、11時前に並ぶ。予約番号順に5人ずつ入れていくシステム。劇場は、客席にかなりの傾斜をつけて、前の人間の頭が邪魔にならないよう工夫されている。スクリーンを外して芝居もできる作りなんじゃないか、という感じ。
映画は良かった。期待通りの非ドラマチックさと淡々としたかったるさで、2時間弱、心身を脱力させてくれた。ヒロイン陽子を演じた一青窈の独特の存在感と、対する浅野忠信小林稔侍などの秀逸な演技力で芝居が成立している。いかにも小津っぽい画面構成は、監督のプロ根性の発露であろう。映画の品質としては、先日観た「誰も知らない」のほうが圧倒的に上だろう。でも、もっぺん観たいのはどっちかと言われれば、「珈琲時光」だ。以下、ちとネタバレ含有なので色を変えておく。
台湾から帰ってきた陽子は、台湾人とのこども妊娠している。でも彼と結婚する気は無く、一人で産んで一人で育てる、と言う。これがこの映画の、ほとんど唯一の「ドラマチックな要素」なのだが、それすらも侯孝賢は脱ドラマ化しようとする。陽子の両親への語りによれば、台湾人の彼は陽子が日本語教師をやってた時の教え子であり(おそらく陽子より年下)、留学先に母親がついていくような「マザコン」であるから結婚したくない。さらに、彼の家は中国に工場を持つ傘メーカーのオーナーで(おそらく相当なブルジョワ)、結婚したら家の仕事を手伝わされるのは明白なので、それも嫌だから結婚したくない、と。「破局した悲恋の後、私生児を産んで育てようという悲劇ヒロイン」が、「ブルジョワの馬鹿息子相手にわがままを通そうとしているクリエイター志望のおねいちゃん」に変質する。ここまで脱ドラマ化し、かつ分かりやすくしちゃっていいんですか、監督? これじゃ、なんちゅうか、伊藤理佐のまんがのヒロインのようですぜ。
うーむ、はてなのリンクシステムのせいでいろんな単語が垣間見えちゃっているが、しょうがないよね(笑)