三鷹食堂日記帖

飯食い酒飲み自転車をこぐおやぢの日常。MT車大好き。

セックスを哲学する

男は極端な話、セックス無しでも生きていける。男にとってのセックスは心理的には妄想、肉体的には排泄だからオナニーで代替できる。生身の女相手でも、心理的には****(適当な「萌えキャラ」名を代入すること)のコスプレによって妄想を刺激された、肉体的には「膣オナニー」に過ぎなかったりする。
女はそうはいかないようだ。セックスとは露骨に言えないから「恋愛」と言っているが、女にとって恋愛無しの人生は耐えられない。恋愛は人間関係であり、絶対的に相手が必要だから、オナニーじゃ代替出来ない。ちうか、恋愛があれば、セックスは必ずしも必要じゃない。キスしてハグするだけで十分だったりする。逆に、恋愛をあきらめ、たとえばボーイズ小説を読みながらのオナニーで性欲を解消せんとするなら、社会的存在としての「女」ではなくなる。
ロリコン男にとっての少女は限りなく人形に近いが、ショタコン女にとっての少年はあくまで未成熟な男なのだ。けして対称関係には無い。
女にとっての恋愛は、必ずしもセックスを含まないし、かといって男の考えるプラトニックでもない。男はセックスで確実にカタルシスを得るし、カタルシスを得られないセックスは不十分だと感じる。恋愛はそれとは別腹(笑) 女のオナニーで、彼氏とのセックスの後に、余韻を楽しむために、というのが解せなかったのだが、そう考えると分かる。女にとってのオナニーはセックス=恋愛の代替行為じゃない。補完なんだ。前戯後戯をセルフしとる、ちうことね。