三鷹食堂日記帖

飯食い酒飲み自転車をこぐおやぢの日常。MT車大好き。

週刊文春追記

今回の事件に対する反応は、テレビや新聞は左から右までおおかた文春擁護。文春ひとりの問題ではなく、マスコミ全体の死活問題ともなりかねないとの危機感からで、当然の反応だろう。対してネット世論は真っ二つ。文春擁護派の主張はマスコミと同じなのだが、文春批判派は問題を「プライバシーvsマスコミ報道」との構図で捉え、「親は公人でも娘は私人。『報道の自由』を振りかざして私人のプライバシーを侵害するマスコミの『ペンの暴力』を許すな」てな主張を展開している。
あえて意地悪く言えば、文春批判派は「プライバシー」を絶対価値として、そっから先は判断停止の脳死状態に陥っている。左翼進歩派に特徴的な病状だったが、最近はウヨサヨ問わず発症するようだ。
三鷹が感じるのは、仮に「ペンの暴力」だったとしても、この程度の記事で司法当局が雑誌一冊の「発売禁止命令」を下すのは不当だということ。さらにこの「命令」は「プライバシー」を守るどころか、結果として100倍規模の侵害を新たに引き起こしている。この事件を報じる新聞の多くは「真紀子氏長女の離婚」と明記している。長女が主張する「プライバシー侵害」の要がそれであり、その事実を報じさせまいと地裁は「発売禁止命令」を出したのだから、アホらしいとしか言いようがない。
まあ仮に、このような形で「プライバシー」を保護した地裁のやり方が普遍妥当なものであったとしよう。ある記事に対して、それに不利益を感じる当事者がいるケースはいくらでもある。今回同様に「プライバシー」を盾に訴え出て、今回同様に「発売禁止命令」がばんばん引き出せるとなったら、マスコミは滅びます。「マスコミなんざ滅びてもいい」とネットユーザーがせせら笑う間もなく、ネット掲示板も滅びます。司法当局の命令は、法治国家において絶対的な強制力を持つ。「ペンの暴力」の比ではない。その強制力がマスコミにのみ向けられると信じているなら、おめでた過ぎ。
実際は、そのような事態になるとは思えない。それはそれで問題だ。現に行われた「命令」は、普遍妥当なものではなく、今回の件に限った特別措置としてなされた、ということだからだ。すなわち、地裁が守ろうとしたのは「有力政治家の家族親族のプライバシー」であり、それ以上のものではない。文春批判派は「プライバシーを守れ!」と美しい理念を主張しつつ、現実には「有力政治家の家族親族のプライバシーは守れ」という、美しからぬ策動に与している、ということになる。